丸太写真館のご主人が撮影した昭和42年の羽越水害記録に川西町立診療所が写っているのがあります、50年経った今もこの建物が残っています、昭和42年当時はまだ萱屋根や木造家屋が多く、公共施設などは大正期の趣のあるが建物が数多く残っていた昭和40年初め、このころから急速に現代の鉄筋コンクリートの建物が増え始めました、当時小学生で小松にも近代的な建物が出来てきたと思っていたのですが、今考えるとこの高度成長を境に作業効率やコスト優先、共通規格のどこに行っても代わり映えのしない建物になったんだなと感じます。
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