伊達正宗のふるさと(資福寺跡その2)

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東置賜郡高畠町夏茂990

 慈雲山資福寺は、弘安年間(1278~1287)長井時秀西規が、鎌倉建長寺の僧、紹規を招き建立したものである。当時この地は置賜の要所で、関東十刹の1つとして東北の文叢の中心をなしていた。長井氏を滅ぼした伊達氏は資福寺を帰依寺、学問寺とした。伊達政宗が幼少のころ、資福時に住み、その住職に教育を受けました、そのお寺の後が高畠町にあります。千代田クリーンセンターの手前になります。

 伊達家は高畠を拠点として、120年あまりの間統治しておりましたが、天正19年(1591年)、資福寺は仙台に移された、資福寺にあった永仁4年(1296年)鋳造の浩鐘は亀岡文殊堂に寄進されたが、戦後改鋳され幻の鐘となったようです、残念です。現在は伊達家の墓と石積みが名残を残すのみとなってます、千代田クリーンセンターの前なのでよく立ち寄りますがいつ来ても地元の方がよく手入れしていてきれいにされてます。この日たまたま看板写真撮ったらキジが撮れました。

2016.05.22:li-no:[歴史探訪]

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