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歴史講座 無事終了しました。

  • 歴史講座 無事終了しました。
2016.2.13(土)黒砂公民館での歴史講座『黒砂浅間神社と黒砂にゆかりの人』定員60名を超える申し込みがあり、盛況のうちに無事終了しました。 

 黒砂の風景も住んでいる人々も、大きく変貌しましたが、郷土の歴史を知りたいという人の多さにも感謝!!これからも多くの人に知っていただきたいと思います。
2016.02.15:kurosuna:コメント(0):[活動の記録・報告]

『黒砂いまむかしⅨ』完成しました

  • 『黒砂いまむかしⅨ』完成しました
『黒砂いまむかしⅨ』 -黒砂浅間神社と黒砂に縁のあった人たちーが完成しました。
新港横戸町線沿線の緑地公園工事も完了しました。
黒砂3丁目、側道脇の『黒砂分教場記念公園』に黒砂分教場の記念碑も立てられましたし、旧黒砂入口付近は『くろとの浜公園と名づけられました。

『黒砂いまむかしⅨ』は黒砂に関する資料集の集大成かもしれません。
黒砂浅間神社に関する疑問解明、石碑・石造物、黒砂村の成り立ちなど、
黒砂にゆかりのある人
穴川野の開拓をし3代目は千葉町の最初の町長になった田村吉衛門・明治の習字の教科書を作った香川松石や晩年黒砂に住んだ浅川伯教・巧兄弟の話などよみごたえがあります。。

2015年7月遷座200年奉祝際の様子など、カラー写真をふんだんに使っていますので少し割高になってしまいましたが、実費2000円にてお分けできます。
2015.09.20:kurosuna:コメント(0):[活動の記録・報告]

黒砂の地域文化財『校地購買記念碑』『学校敷地寄贈の碑』

  • 黒砂の地域文化財『校地購買記念碑』『学校敷地寄贈の碑』
   
 明治8年開校の黒砂小学校は師範学校第二校舎になった後、登戸小学校の分教場となり昭和29年3月まで存続しました。
 その後、同じ場所に黒砂公民館が建ち、公民館が黒砂浅間神社前に移転後はチビッコ公園となり、新港横戸町線工事が始まるまではその公園の片隅に二つの石碑がありました。
 その石碑は、当時人口500人足らずの黒砂村の人たちが小学校を建てる為に当時は今の稲毛区役所あたりにあった黒砂村の共有林の部分木を売って、資金にしたことが書かれた『校地購買記念碑』と、もう一つは『学校敷地寄贈の碑』学校に隣接する土地を持っていた人が寄贈したことが記されています。共に当時の人たちの教育にかける熱意を感じるものです。
 新しい道路ができることで長年続いていた人々の暮らしや文化・歴史的な記録や記憶が消えてしまうに忍びなく、今から5・6年前千葉市の地域文化財としての登録申請願いを出していました。他にも黒砂浅間神社には黒砂村の随所にあった石碑や石造物が集められています。それらの黒砂の昔を知ることのできる資料すべてを認定してほしかったのですが、対象になるものはこの2点のみとのことでした。
 それにしても2体の石碑が後世に伝えられることになりました。この石碑は新港横戸町線国道14号から穴川に向かう道路側道の歩道近くに建てられています。



2015.06.28:kurosuna:コメント(0):[活動の記録・報告]

緑町小学校で歴史講座

  • 緑町小学校で歴史講座
緑町小学校の生徒を対象に出張出前郷土の歴史講座
今年も10月初めに6年生向けの講座を開きました。



 黒砂浅間神社に関する情報がはいりました。
2015年(平成26年)7月に浅間神社遷宮200年を迎えます。そのために黒砂浅間神社に関する記念誌を発行することになりました。
それと同時に資料を保存会として、浅間神社と文化(黒砂にゆかりの人たちのまとめ)の資料集発行を予定しています。

2014.11.13:kurosuna:コメント(1):[活動の記録・報告]

2012年度の歴史講座

  • 2012年度の歴史講座
第8回
黒砂郷土史講座 

第1回目 2012年2月11日(土)黒砂とゆかりのある人たち
     浅川伯教・巧兄弟

第2回  2012年2月25日(土)「更級日記と黒戸浜」


スケッチ画は浅川伯教氏が海に面した国道14号沿いの
海岸近くに住んでいた家です。
2012.03.05:kurosuna:コメント(0):[活動の記録・報告]