日々是好日マガジン

▼自分を考える者

はてなダイアリーで現在注目の記事がある。

「発音練習」:価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない
http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

大学で助教をしていらっしゃるという先生の記事で、指導対象だった学生に対しての事柄ではあるのだけれどそのひとくくりではなくて広く「人」としてどうあれば生きやすいか、いや、生きやすいというよりも人間関係の基礎となるものを考え交わっていけるのか、ということが書かれているように思う。

ずいぶん前から、私は「自分」はどうあるべきかを考えていて、この年になってからの変化はなかなか難しく、頭ではわかっていても切り替えというのはできない部分が多かったのだけれど、少し前から「誰かのために、人のために」自分が何かをできたというところによりどころを求めていては自分を偽ることになって行ってそのうち身動きが取れなくなる、ということに気がついてからはどうにか自分というものを考えられるようになった。
そのために大事だと思っていたものと離れることにはなったけれど、もがき苦しんでいる自分でいるときに比べると今の自分は本当に「楽」だと感じている。
そうできた一つが「正解」を求めないこと、で誰にとっての自分が正解で正しくて、「間違っていないか」をいつも問い続けていたその当時の自分は我知らず自分を失くしていたように思う。間違っているいないは誰が決めるものでもなくて、まして相手にゆだねるものでもない。私がどうしたいのか、を考え始めてからはそれが良くわかるようになった。

ニュアンスが少し違うかもしれないけれど、変わってきた自分にとって上記の先生の話は必要な事柄が書かれているのだと感じている。
コメント欄で議論されていることもとても興味深いけれど、まずは自分を考えるテキストとして読んでみると思うところが多いと私は思います。

2009.03.01:khisari

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