日々是好日マガジン

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摂食障害で入院、主治医から「軽快」という判断をいただいて退院した娘が15日から学校に再び登校しました。この間、娘の学校では中間テストがあり、主治医の話では早いうちに学校に復帰したほうがいいということだったんですが、学校の判断もあってしばらく自宅療養をしていました。

連休あけあたりから、本当に学校で普通に過ごせるのかと心配している様子で落ち着かない面も見られたんですが、前日に担任の先生と話して朝から普通に登校すれば何の問題もないといわれてその通り、普通に行きました。
お弁当もご飯とおかずを詰めていったところ、友人から「グレードアップしてる」といわれたとか、購買でプリンとドーナツが美味しそうだったから買って食べたら量が多すぎてちょっと胃が痛くなったとか、そんな様子を聞かされました。

実は前の日、私自身が友人から電話を貰ったんです。相手は明日から娘が学校に登校するというのは全く知らなかったんですが、娘の様子を以前話した時からその後の様子が気になっていたと連絡をくれました。そのときに「親が口出ししすぎるとこの病気は余計に悪くなるから」と聞かされました(この友人は元看護師で次の職歴が幼稚園の養護担当、いまは地域コミュニティの事務をしています)年齢的にも小さな子供と比べると親から離れていく時期だし、親の介入がいい面で出る場合も、悪く出る場合もたくさんあると話してくれました。それだけ見てきたということだろうと思います。
うちの場合は、まだ途中経過ではあるけれど対処はきっと早かったんだろうと思います。また、摂食障害の原因はストレスが多いといわれるのだけれど何が原因でストレスになったのか、どうして自力で体を元に戻せなくなったのか、退院してから会話を増やすようにしてみていても時に気がつくことがないので、そこは探そうとしないで行こうかともおもっています。どう生きたって、生きてく事には変わりがないのよ、といってくれた友人の言葉通りだとも思うからです。

元に戻らないように気をつけること、見守ること、それが出来ることかなと思っています。
娘ですが、6日の火曜日、午後に退院しました。
点滴を金曜日に外してからも食事量が減らないこと、体重が落ち着いてきたこと、体温血圧等も安定して、あとは実生活で元に戻していくということにしましょうということになって急でしたが退院許可が下りました。
しかしこの摂食障害という病気は「治癒」するものではないそうなんです。これで治った、との判断は先生でもなかなか難しくて、今回は「軽快」ということでまずは学校生活に戻ることと家庭での食事できちんと必要量の栄養を取ることを今後確認していくことになります。
入院生活の後半は、自分では完全に健康体だと自負するほどになっていましたが、採血のときに身体が反応する「迷走神経反応」は最後の血液検査のときにも座って採血できないくらいの状態になっていて、そこだけはなかなか元には戻らないだろうという話もありました。なんだかいろんなことが入院する前とは違っているんですが、それでも食事が取れるようになっているというのはすごい回復だ、と親は思うものなんですね。帰ってきてからもきちんとご飯を食べ、おかずも野菜も食べるし大豆製品も食べるし、牛乳を飲むようになったのを見て驚いています。

2週間後、学校に復帰してからの様子と検査があり、その後は2ヵ月後との検査があるそうです。娘は先生が驚くくらい元気になるんだと張り切っています。
入院から6日目、おとといあたりから食事量がぐんと増え、今日は朝食からほぼ10割の食事量が摂れるようになりました。

あんなに食べることを苦痛にしていたのが、驚くほど食事に対して前向きになってきました。昨日なんか看護師さんが食事量のチェックをした後「気持ち悪くない?」と聞いてきたほどです。無理してご飯を残さず食べて、後から吐いているんじゃないかと心配して下さるのですが、娘はもったいないからそんなことしない、と言っています(笑) しかし、実際に笑い事じゃないくらい食べては吐くという行為を繰り返す状況になってしまう子がいるそうですので(これは説明を受けました)食べられるようになったからと言って安心は出来ないということです。
娘が食事を取れるようになってきたことで、治療方法は主に食事療法とストレスの軽減のための睡眠確保に絞られることになりました。点滴治療は量を増やさずに継続していますが、以前話に出た治験の話はなくなりました。治験コーディネーターの方からも食事量が増えたことを褒めてもらえたと喜んでましたし、主治医の先生から体調の経過と検査結果を検討して、10月の連休明けぐらいに退院予定との見通しをいただきました。
やはり嬉しいですね。

毎日見てくださっている看護師さんと話をさせていただきましたが、体重の変化もだんだん増えてきているけれどそろそろ安定するんじゃないかとのこと。早いうちに対処できたのがよかったと言っていただけました。
娘は食べることにはじめから拒否はしていなかったように見えるけれど、お腹がすいたという感覚が麻痺していたようで、その原因が先生はダイエットが上手く行き過ぎた、と表現していました。人は食事量を3分の1にし続けると今回の娘のように不眠・胃痛・頭痛の症状が出てそれが講じると精神的にも不安定になるとのこと、これは昔アメリカでの実験で明らかになっているとのことで、不安定な部分を早めに解消できないと時間がかかるのだそうです。

内科での回診では健康体になったと言っていただけましたが、これで今すぐ経過観察を中止してしまうと元に戻る可能性もあるとのことで、もう1週間状況の確認と尿検査・血液検査でのデータチェックをクリアできたらもう安心です。
何より本人が食べること・よく眠れることに対して嬉しいと感じていることが何よりです。
退院までもう少しです。
入院2日目、朝高校の担任の先生が来てくださって娘と話しをしていきました。授業日数は心配ないとのこと、他の先生方には担任から話をしてくれるとのこと、ワークや課題が出たら持って来てくれるとのこと、1年のときから同じでかなりざっくばらんに話す男の先生なので、まぁ勉強の話ばかりじゃなくて学校のこととか部活のこととかあーだこーだと世間話をしていってくれた感じです。
花束をいただいたので、夕方フラワーアレンジメントに変身させました。花瓶を持っていこうかと思ったんだけど、水が入ってる瓶よりはオアシスがぼんと入ってるカップのほうが安定してるだろうと言う理由だけなんだけど、なんかバランスが取れなくて参りましたね。

昨日から夜中の点滴が始まっていて、1時間に40ミリと言うかなりの微量ずつを一晩かけて身体に入れていくと言う処置がはじまりました。これで摂取できるのは500カロリー。ほかは経口での食事と言うことになります。
昨日はどう頑張っても1割しか食べられなかったのが、今朝からは3割食べていると言うので環境が変わったことで少しいい方向へ向かってくれるのかな、と期待してしまいます。1日3食で2000カロリー出てくるんですが、ということは今日は経口で600カロリー摂取できたと言うことです。自分に置き換えて考えるととんでもなく少なく思えるんですが、娘にとってはかなり食べられた、と言う感じでいるようでこれだけ食べられればそんなに長く入院してなくていいかも、と早くも言っています。まだ、そう楽観できる状況じゃないんですけどね。
これは、自宅にいるときは食事として食べなくてもだらだらと1日中ペットボトルの紅茶を飲んでいたり、食事の合間に飴をなめていたりするのがなくなって、きちんと3食で食べないといけないということで必要なだけ身体が要求しているんだと思います。でも3割・・・。
始まったばかりですから、欲をかいちゃいけませんね。

通院のときに採血して倒れた経験が身体と記憶に残っているようで、点滴の針を抜いたり入浴のときに点滴の入り口(毎度針をさすんじゃなくて、針の入口を作ってあるそうです)をビニールでカバーするときなど、気分が悪くなって横になってしまうので時間がかかる、というんです。これは主治医の先生も心配していたことですが看護師さんは倒れても大丈夫なように病室のベッドの上で処置を行うといってくださいましたが(通常は歩ける患者なのでナースセンターの処置室までいって処置してもらうとのこと)これは「瞑想反射神経」(という漢字でいいんでしょうか?)といってこれが過敏になるとトイレとか荷物を持つのに力を入れただけでも倒れてしまうようになるものだそうです。驚いて失神するというのがこれにあたるそうですが、そんなにやわな子じゃなかったのに、と思うとなんだかいろんなものが変わってしまったように思います。

まだ2日しか経っていないんですから、早々なんでも好転するとはいかないですね。
昨日、先日の血液検査の詳しい結果が出て、栄養素の吸収率の部分が70歳代のご老人以下の数値だということやそのほかさまざまな部分で基準値いかだということがわかり、先生との話し合いの結果このまま現状維持をめざして家庭での食事療法を続けるのは無理ということになって今日から入院することになりました。
娘の学校の出席日数とか、病院の先生は気にかけてくださいましたが、幸い担任の先生に連絡を取ることができて長期欠席で今のところ問題はない(とはいっても授業が遅れることは否めないんですが)とのことなので1日でも早く、と決めました。

しかし、ただ一つ問題があったんですね。今現在の体重が治験の基準体重(平田法による標準体重の85%以下)よりも若干上回るので、治験対象にならないかもしれないということ。
治験対象にならないと効果が高いと考えられている薬の使用が出来ない、ということになるんですが、それもなにしろ「治験」なので、治験対象となっても必ずしも「効果のある薬」を使用しているとも限らず「プラセボ」という見かけはそっくりだけど効果の全くない薬を使うことになるかもしれないと言うこともあるんです。
でも、2分の1の確率でも効果のある薬を使えるかどうかのスタートにさえ立てないかもとわかって娘も私も喜んでいいのか悲しんでいいのかわかんない状況になりました。

先生は、体重が落ちている最中なのでまず月曜日まで様子を見て決めましょう、とお話くださいました。治験対象になる場合でも、予備検査が最初あってから投薬になるのでその期間がもしかしたら長くなるかもしれない、というのです。
今日は昼と夜のご飯がまず出て、どのくらい食べたのか食事量のチェックをその都度する、という話でしたが、両方とも1割しか食べていないとわかって驚きました。一応入院中は1日2000カロリーの食事が出るんですが、1割ということは200カロリーしか摂ってないと言うことです。
自宅にいるときにはそれでもペットボトルのジュースを飲んでいましたが、すべての食事量をチェックするのでそれもできません。

今更ながらですが、娘が入院してから今日1日、ほかにやりようがなかったのかと考えてしまうこともありました。でも家にいても状況がよくなったかどうかの自信もありません。
摂食障害を専門に見ている方々の手にお願いしたのですから、信じよう、と考えています。
連休中は私も主人も仕事だったのでどこにも出かけなかったんですが、娘は上の姉が金沢にいるので(大学在学中)そこに2日間遊びに行ってました。
夏休みにはお盆に1週間しか帰ってこなかった姉娘は、この連休もバイトがびっちりはいっているので夏妹娘が金沢に行く、とこの帰省中に二人で計画していたのです。
心配でしたが、一人で行かせることにしました。

出かける前の日に、あれこれ着る物を準備していました。ファッションに興味のある年頃だからでしょうか、2日分のコーディネートを着せ替え人形のように着たり脱いだりして決めていました。
ジャケットは、以前のものでも何とか着られるんですが、春先に「これは秋でも着れる」と買ったショートパンツはウエストがぶかぶかで、いったい今のウエストサイズはいくつなんだと気になって測ったら58センチだった、と教えてくれました。
最近は体重や身体のサイズを気にしないようにと朝きちんと測るということをやめさせていたのですが、自分でもそんなにサイズが落ちていたとは思っていなかったようです。

着替えているところに行ってみていると、横を向くと背中と脇腹に骨が浮き出てるので「そんなところまで出てる」と思わず言ってしまったら、「でもお風呂に入って身体を見ると、まだ痩せなきゃ、と思う自分が怖いんだよね」と言いました。骨が出るくらいになってても、下腹とか足とか、つまんで肉を感じる部分がまだあるのでそれがなくならないといけないと思うんだそうです。でも、そう考えるのはいけないんだ、と思う自分もいてこれ以上痩せなくていい、と気持ちにブレーキをかけるのがわかるんだそうです。
そういった葛藤が、食べることを抑制してしまうんだろうか、と思いました。

今日、2週間たったので再び病院に行って検査をしてきます。
栄養士さんの話を聞いてからは、カロリーの高いものを食べるようにしたのと、一度にたくさん食べられないので1日6回ほど何かしら食べるようにしています。朝はクッキーを半分とかマフィンを4分の1とかしか食べないので、昼までにもう半分のクッキーを食べて昼に鶏肉のサラダとかプリンとか、これも通常の半分以下しか口にしませんが食べるように自分でもしています。
夕飯のときも主食である米飯はほとんど口にしないので、出来るだけ麺類を出すようにしています。見ていると糖分と炭水化物がほとんどで野菜や肉魚類を食べないのですが、野菜ジュースを足したりして少しでも身体に入ればと思ってます。
どのような結果が出るか、まだわかりませんが、2週間前よりもちょっとだけ食事量は増えたのでその点お話してこようと思います。
娘が摂食障害である、と診断されてから1週間経ちました。
その間食べたものは書き記したものを見なくても言えるものばかりです。それだけ食べられるものが少ない、その事実に驚くと同時に、どうしてそこまでになったのか、考えてもわからないことばかりです。

娘は、今日は学校に行きましたが昨日は休んでいました。朝いつもより少し多く食べようとイングリッシュマフィンを半分食べ、卵を一つ食べたところで胃痙攣を起したのです。
食べるのにも時間がかかるのですが、食べ終わると同時に起こる胃の痛みに耐えられないというのです。

それが、どうしても私には理解できないのです。すごく情けなく思うのですが、娘の「食べられない」という状況の中にある気持ちがどうしてもわかってあげられません。わからない、というのがどうしてなのかが「わからない」んです。

おととい、それを娘に言いました。なぜ食べられないのかがわからない、と。
すると娘も、自分がどうして食べられないのかがわからない、と答えてきました。ただ、食べると胃が痛くなって頭が痛くなって、あともう一口、と思うけれど手が止まる、と言います。そうして、食べないと頭が働かなくて身体がふわついて、普通に過ごしていられないとも言います。寝るとおきられない、学校に行っても授業が頭に入ってこない、それがすごく辛いといいます。
最初は、食べないと体重が減るんだから食べないでいればいい、と思っていたというんですが、今は食べないでいるのも辛いし食べるのも辛い、どうにもならない自分がいることを自覚して、これが治るものなら何とかしたい、と言っています。

何とかしてやりたいです、本当に。
今は1日1000カロリーも食べてないのですが、それでも一つでもカロリーの高いものを口にするように、自分でカロリー表示を見て食品を選んでいます。30分掛けて食べるヨーグルトも、1個57カロリーよりも68カロリーのものを選んで、「JK(女子高校生の略)がカロリーの高いもの選ぶなんてねー」と笑って茶化してます。

たぶん、まだいいほうなんだろうと思います。食べることを話して一口をどうやって増やそうかと言うことを話せるだけ、いいんだと思ってます。
そう思おうと思ってます。
...もっと詳しく
昨日、高校2年の娘を連れて小児科に相談にいってきました。
7月半ばから体調不良を訴え、8月には食べられていた白いご飯も全く食べられなくなって不眠症にもなり、いろいろな病院に相談した結果たどり着いたところが市内にある国立の新潟病院の小児科です。ここには神経性摂食障害を専門にしている先生がいらっしゃって、いままでなにがあってここに至ったのか、話をしていくうちに私も娘も思っていたよりもことは重大なんだと気がつきました。

それまで内科で超音波検査をしても、血液検査をしても、頭痛で相談した脳外科でMRIをとっても、何一つ異常は出ませんでした。
胃が痛いのは胃薬を飲んでみて、頭痛のは頭痛薬を飲んでみて、様子を見ましょうというのが2週間ごとに続いて、変化がないので話しだけして薬も治療もないときもありました。次第に、夜眠れない、固形物の食事が取れないという日が続いて、体重は4月のころより5キロ減ってしまいました。

どうしてこうなったのか、きっかけはダイエットです。
157センチで52キロあった娘は、本当に普通の体型をしていたんですが、足が太いというのを気にして春先から太もものダイエットをすると言い出しました。最初はマッサージ器具を買ったり、流行のメディキュットを履いて寝たりしていたんですが、そのうちお昼ご飯を極端に食べなくなっていきました。お昼は学校にいるので、朝晩と違い見ている人がいないから食べなくても怒られない、と思ったようです。
お昼にペットボトルの紅茶1本だけにするようになって、1ヶ月で1キロ減ったと喜んでいたころあたりからおかしくなりました。
朝はご飯を食べていたのがおかずだけになり、お夕飯は家族が食べる前に終わってしまうようになりました。注意してみていると、おかずもお皿の半分くらいで食べ終わり、後は紅茶を飲んでいるという状態です。夏休みに入ると1日ペットボトルは3〜4本空けますが、ご飯をしだいに食べなくなって外食などして無理矢理付き合いで食べたときなどお夕飯は抜いたりするようになって行きました。

そのころ新潟病院にはじめて行って、最初の小児科の診察では何の異常も無しで終わったのですが、体調が戻らないために2度目に行ったときに診ていただいたのが偶然院長先生で、こちらの話を聞いて一度相談だけでも、と今回の予約を取っていただきました。そのときにはまだ「相談だけ」という気持ちが強く大して心配ないと思っていたのですが、専門の血液検査と骨密度測定をして、骨密度は異常ないけれど肝機能に若干数値が足りない部分があって傾向としてこのままだと悪化していくのは目に見えている、と率直に教えていただきました。

今は、摂食障害の初期段階ということです。幸いなことに本人も今の状況がおかしいと気がついているので、少しでも食事ができるようになるなら、と栄養士さんの話も嫌がらずにしっかりきいてくれました。
今の1日摂取カロリーは1000カロリーにも満たないんですが、2週間後までに1500〜1600カロリー摂れるようになって数値の改善が見られればカウンセリングで済むという見通しが立っていますが、変化がないようなら入院して治療するという話です。そこまで進んでいると思っていなかったこちらには驚く話でしたが、今の段階で早い処置が出来れば将来の骨密度を確保できる、というのです。

10代後半から20代前半のこの時期、一生のうちで一番骨の形成が活発になるときで、カルシウムなど骨に必要な要素が多く蓄積されるのは今なんだそうです。この時期低体重が続くと、骨になるために必要な要素が足りなくなって将来骨折しやすくなる、というのです。
これは骨折しなければいいという問題ではないんです。普通の生活していても、ただ歩いているだけで骨折のリスクが高くなる、というんです。

新潟病院では摂食障害の治験治療をしているというので、いまはまだその入り口にいる娘がリスクも少なく何らかの治験結果が得られる可能性も高いというのも入院治療を勧められた理由です。治験なので新薬の研究材料になることと、実際に効くと考えられる薬を使うのかダミーがあたるのか、それは病院でも最初はわからないのでという説明も受けました。くじ引きでどれを使うか決まるそうなんです。

今のところ、食事療法で改善していく方法を取ることになって、今朝は牛乳と卵1個、マフィンを半分食べて行きました。昨日はお夕飯の残りのハンバーグを半分でしたので、カロリー高そうだけど大して栄養価がないと言われたのでそれからするとバランスよく食べることを心がけました。この量ですら30分以上かかるんですが、少しずつ増やしていけるように、と思っています。

静岡で地震があったと朝起きてニュースで知りました。
静岡は小学校の2年生から高校1年の夏まで住んでいたところ、場所は今では御前崎市となっている小笠郡浜岡町でした。なので、まさに震度6弱と観測された場所です。

子供のころの記憶では、1学期ごとに全校で避難訓練をして、机と椅子の大きさは必ず身体が入るものを設定し防災頭巾が座布団として常備されていました。避難場所は所々に設置されていて、その案内表示もはっきりわかるものだし地区の防災訓練もしょっちゅうやってたように思います。
ずいぶん前から東海地震の発生が取りざたされていて、防災意識の高さが高いからこそテレビ画面で見るように被害も最小で食い止められたのだと思います。

でも、心配です。友達に電話してもつながらなかったし、メールの返事は返ってこないし、それは今は仕方がないよ、と頭でわかっていてもやっぱり心配です。

何もなければいいですが、2年前の被災を思い出すと何もないわけがないと自分は知っています。

どうかどうか、気をつけて。無事でありますように。
「とまと大福!」の画像
なんと!!!

いちご大福ならぬ「とまと大福」です(おわー)

ちょっとシンジラレナイ・・・・・と思うところなんですけど、これが意外に(といっては怒られるか/汗)美味しいんです。
フルーツトマトを使ってるのかな?おもちの甘さとトマトの酸味&甘さがベストマッチで私は好きな味。
デモでも娘はトマトだいっ嫌いなので「近寄るなーーー」と叫んで逃げていきました。

そんなに嫌わなくてもいいのに、ねぇ。


柏崎駅前の「杜の屋」さんで販売しています。1個175円。
食べ方のコツは「切ってから食べること」!これは何も切り口の断面を確認してから、という話じゃありません。トマトがとってもジューシーなので、丸のまま食べると果汁が溢れて大変なんです。なので車の中で一口、なんていうのもNG!切ってお皿で汁を受けられるようにしながらがよろしいかと。

トマト好きなあなた、ぜひぜひお試しあれ!!!
昨日は押尾コータローさんのライブがあって行ってきました。震災復興2周年祈念事業として、市民が立ち上げた復興団体「ち〜む・わ」の主催で、抽選ではありましたがなんと入場は無料、しかも私は仕事でいけなくなった妹の旦那の代わりにという超絶ラッキーだったんです。

中越沖地震のとき、その直後からずっとFMピッカラで流れ続けた押尾コータローさんの曲は、一時の安らぎになりました。だれの曲だろう、とはじめのうちはラジオを聞きながら思った人がたくさんいたと思います。そのうち押尾さんのギターだとコメントが入るようになり、CDを聴いたりネットで画像を探したりしていましたが、昨日は間近でその超絶技巧を目にすることができました。
すごかったですよ〜!
どうやってひいてるんだろうと目を凝らしても、わかりませんもん。

帰りには、どうしても帰り道で聴きたくなってDVD付きのベスト盤CD「Blue sky」を買ってしまいました(笑)すんごくいいです!!!うーん、でもアレンジ曲ばかりのCD「タッジーマッジー」も買えばよかったなぁとちょっと後悔しています。こっちはネットで買おう〜

このところ、ご褒美のような「いいこと」がたくさんあるんで、それにおごらないようにしていこうと思います。
このところ、素晴らしい能力を持った人たちを目にすることが続いて、テレビのこちら側で見ている私はただただ感動するばかりだ。

盲目のピアニスト、という第一報がクローズアップされた彼は、でも本人はそれをなんディだと思っていないんじゃないか、という恩師の一言が印象的だった。もともと「ない」ものなんだから、「ある」ものと比べてどこがどう違うのかということを比較することは彼自身できない。なぜ見えないのか、と話題になるとだれかしら取り上げるけれど、はじめからなかったのならそれを「もしかしたら」で語ることは出来ない。
そう考えると私は何をしてきたのか、と思う。

日本に来てテレビで歌っているのを見たポール・ポッツ氏は、以前見たときに比べるとすごくかっこよくなってきりりとして、自信に満ちているようだった。本人は自信を持ってしまうと自分に過信するのでそれはないほうがいいといっていたけれど、そういえるのはそれだけの道を通ってきたからだと思う。

どんな状況でも、どんな自分でも、自分を信じるとこなんだ、と。
またもや心に思うのです。
なんか、ふと気がついたんですが。

きっちりと朝はバナナと白湯しか口にしないという、正統派っぽいバナナダイエットを始めて約1ヶ月が過ぎるのかなくらいな今日この頃、口内炎が全然できなくなっているのに気がつきました。

あれー?

今までは口内炎が出来ては治り、治ったと思ったら出来ると言う不毛な繰り返しが何度も何度も続いていたんですが、本当にふと、会社に行く途中の車の中で「あ、口内炎がない」と頭に浮かんだんです。
おわー、でした。口内炎はこの先ずっとなくならなくて、ずっとずっと悩まされるんだと思っていたので、何で出来てないんだろうとそっちが不思議になったりして。

なんだろね、栄養が偏っていたんでしょうか今まで。
それとも、足りなかった栄養がバナナで足りたようになったんでしょうか。

いずれにしても、ちょっと嬉しいです。
日本中、どこに住んでいる方も同じだと思いますが、今大阪・神戸を中心に広がりつつある「新型インフルエンザ」の拡大感染はとても心配ですし、今後どうなるのか不安です。

しかし、データとしてアメリカの10倍、カナダの100倍の人口密度を持つ日本の場合、今現在の状況で終わるはずがない、と言う方向が現実であると一人ひとりが理解しないといけないんだな、と言う気持ちではいます。
WHOの会見の中での発言ですが、この新型インフルエンザの初期の段階で、世界各国に広まりつつあるときに「必要以上に怖がることはないが、正しく怖がる必要はある」と言うものがありました。今私が住んでいるのは大阪・神戸から離れた新潟ですが、人の多くあつまるイベントやサッカー場などではマスクが配布され、市からは広報や一斉放送で体調管理と異常のある場合には速やかに関係機関に申し出ることを促しています。
一つ一つはとても大事なことだと思います。なにより、通常のインフルエンザの場合でも自分がそうだとわかったら人にうつさないことを第一に考えますから、身体に免疫のない新型インフルエンザの場合にはそれをもっと厳密に考えないといけない、と思います。
しかし一方で、毎朝の報道を見ているとそこまで細かい情報を流さないといけないのかな、と思う部分もあります。
どこの何と言う高校で何人感染、とか、ここの駅の売店の店員が感染や銀行の窓口業務をしていた行員が感染など、ピンポイントで報道しなくてはいけないのはなぜなのか、受け取る側全体に相応の知識がない(と予測できる)現状でそこまでするのは必要なのか、と思ってしまうんです。
情報を明確に報道するのは、そこで発表された校名、場所、地域にいったことのある人、接点のある人、特定個人に接触した人が今後「濃厚感染者」となる可能性が十分高いからだとは理解できるんですが、まだ感染が確認されていない側に必要以上の被害者意識を植え付けるんじゃないか、と思うのですね。

一日50万人もの人が公共機関で乗降するという地域とのこと、誰がどこでと考えるよりも自分がうつらないと予防していたほうがいいように思います。
「地区HP」の画像
「おいなの里 南鯖石」「南鯖石コミュニティだより」と言う、住んでいる地区の振興と活性活動の一環としてやっている広報部の仕事としてのサイトとブログの管理運営を一応やっているんですが、主な仕事は月1回の「コミュニティだより」の更新とイベントカレンダーの更新、あとはコミセンの人や地域の人から頂いた写真をブログでUPしていくことくらいなんですが、今年、2007年からはじめてさいたま在住の「元地区民」の方からアクセスいただいて、この地に昔住んでいた先祖の墓参りのお手伝い(とはいえやったことはメールでの問い合わせにお答えしていっただけなんですが)をさせていただきました。

最初、HPを見てくださっているというだけの話から始まって、今後もよろしく、とお返事したところ、昔この地区に住んでいたという自分達のひいおじいさんを知っている人はいませんか、と問いかけがあって、コミセンのセンター長さんにお願いして調べてもらった結果をお伝えしたら、実際にこちらに来てみる、と言う話になったんですね。ちょうど時期はGW、もしかしたらですが、今年のGWはもともとこちらに来るつもりはあったけれど、今の山室がどんな様子なのか知りたいと言う気持ちもあったのかもしれません。また、中越沖地震から2年目となる今年、家も落ち着いたから遊びに来ましたという人たちも街中では多く見かけました。そんな都合もあったのかもしれません。
さほど回数は多くないですが、必要な情報をお伝えしたところ、実際にこの地にやってきてご先祖の墓参りをされていったのだとご報告も頂きました。

ごくごく普通のことをしていると、こんなうれしいことも時には起こるんですね。南鯖石は本当に山の中で、先日は近くで熊が出たという情報があったくらいですが、この自然満載の地区をこれからも自慢していこうと思います。
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