健のノート

▼米沢でもできることはある!こんな時こそ「譲」の精神!

11日、本当に悲惨で悲しい光景がテレビを通して、自分の故郷宮城を始め東日本で起きたこと、これからも一生忘れない。いや、忘れられない。

地震前のありふれた何気ない日々が、幸せだったんだ。今になって実感、遅いようだけど。

振り返ってみたら私が産まれて2ヶ月、昭和53年6月にも宮城県で大地震があった。母は私と姉を抱きかかえ、避難したらしい。今回の地震は、専門家も予想外だったと言っている。自然のことだから、みんなの予想を越えることはありうる。今回のことであの時震災を経験した人々(国境なんて関係ない)・海外でこの震災を知って援助を申し出てくれた方々は

を強めた。これから先どんなことがおこっても乗り越えられそうなくらい頼もしく思う。私のうちでは今回の震災で被災した人に何ができるか考えた。とにかく『今すぐに』できること。宮城などに行って被災者の方をサポートするのが一番なんだけど、赤ちゃんがいることを考えると『今すぐに』それはできない。今できること、ほんとに小さくて、みんなをサポートできてる実感が湧かない面もあるけど、『節電』してる。これまでより寒い部屋で、耐えて生活してる。押し入れからこんなものを出してきて、使っている。(画像参照)全然つらくなんかない。心の中は『ほんのちょっとでも宮城のためになりたい!』という一心。今できることはこんなちっぽけなことだけど、絶対に形をかえて宮城にもっともっと恩返しする!

自分を育ててくれた宮城、仙台を、また造りあげよう!
また杜の都に行くぞ!

人の幸せと自分の幸せに
境界線なんてないんだ。
武田双雲

道は必ず拓ける!


宮城県民歴32年遠藤より、様々な救いの手を差し伸べてくれている人へ

『ありがとう』
画像 ( )
2011.03.20:ken20

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