健のノート

▼1年2組担任の私の主張「IT機器への個人的な挑戦状…私がほしいもの」

今の生徒の様子を見ていて、とても残念なことがある。今のこの世の雰囲気のせいなのかもしれないから、しかたがないと言えばしかたがないのだが、あまりにも多くの人間が「携帯電話中毒」になっているのではないだろうか。そんな私も半ば携帯電話中毒気味なのかもしれない。必要に迫られているわけでもないのに、何かにつけ、携帯電話を見て使ってしまうのだ。そんな自分が嫌だ。
私が大学に入ったころ、ちょうど「ポケベル」が流行り始めた。その頃は「便利な世の中になって良がったなー」なんて思っていた。その後すぐに、今度はPHS・携帯電話が流行し始めた。あっという間に周りの友達はPHS・携帯電話を持ち始め、持っていないことが「非常識」のようになっていた。自分もその一員になった。いつでもどこでも友達と連絡が取れ、携帯電話さえ持っていれば、何でも出来たような気がした。
だけど、ある時ふと感じた。「俺って携帯電話に捕らわれてないか?」
自分の行動が、携帯電話で支配されてきたような、制限されたような気がした。
携帯電話がないときって、どんな生活だっけ?思い出してみた。

「もっと自分の時間を持てた」、「邪魔も入らず、友達と集中してとことん遊べた」、そして何より「自分だけの時間をゆっくり過ごせた」。良かった。友達と連絡をとるには、自宅に電話をしなければならない。友達の親が出ることもあれば、友達のお姉さんが出ることもある。時には、友達本人がいないこともある。それが面倒で、本当に遊びたい時以外は、電話をせず、家でT-BOLANを聴いたり、ギターを弾いたりしていた。今の携帯に縛られた忙しいゴチャゴチャした世界よりは良い。

一回携帯を持ってしまうと携帯を持たない生活をするのは困難だ。私の場合は仕事上携帯が不可欠だが、できることなら持ちたくない。無くて不便なこともたくさんあるだろう。だけれどもなくともどうにかなるかな自分は。現に、13年前は持っていなくとも、平和に生きていた。もっと家族との時間を大切にしたい。

今私が欲しいもの。それは「ゆっくりできる時間」。せめて休日は、産まれた赤ちゃんと家族と、邪魔が入らない「のんびりした時・ゆっくりできる時間」がほしい。T-BOLANの名曲”boy”をBGMにかけながらそうしたい。
叶う日は来るのか? 携帯電話へ挑戦状をたたきつけよう、そして携帯電話と距離を置いてみようかと考えている今日この頃。
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2010.09.08:ken20

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