健のノート

▼森友嵐士

ファミコン(現在のPSみたいなもの)が大好きで、ゲーマーになるほど没頭していた小学生の時の私を救ってくれたのは他ならぬ音楽だった。中学校に入って、たまたまあるCM曲に心を奪われた。それがT-BOLANというバンドの「じれったい愛」という曲だった。その曲に出会ってから、私は「音楽馬鹿」になった。このバンドは、ボーカルのハスキーボイスが特徴で(もちろんメロディーも良い!)、ファンになった人が多いのだと思う。私ももちろんその一人だ。 中学校3年生の時、家族を説得し、アネゴと仙台へ人生初のライブに行った。もちろんT-BOLANの。生で聴く演奏は初めてで、音圧につぶされるかのような感覚だった。

それから数年、T-BOLANはなぜか突然姿をくらませ、1999年私が大学生のころ、何の前触れもなく突然解散を発表した。すごくショックだった。 待っていたんだけどなぁ…。

それからいくら時が流れても、T-BOLANの曲は私の車の中で流れ、カラオケで歌われ、私の記憶から消えることはなかった。教員になり、山形に来て数年。2009年、結婚し、さまざまな状況が変わり、世間ではT-BOLANの名が消えかかっていたことと思う。結婚式ではT-BOLANの曲を使用した。あの時は復活するとは全く想像していなかった。 そんな昨年末のある日、本当に突然だった。あのボーカルがソロで復活すると発表した。

森友嵐士。

なんで今復活?14年も沈黙してたのに…

14年もの沈黙の理由は、声がでないというものだった。ボーカリストにとっての死刑宣告。どれだけ苦しかったことか…

それを聞いて、ふと思い出した。自分のこと。
今から2年前。私が1年生男子クラスの担任をもって一か月もたたないうちに、私も森友さんと同じく「声」が出せなくなった。まるで肺に穴があいたかのように、声をだそうとしても、腹に力が入らない。いつも生きる上で、息をすうのと同じく「楽」にできていたのに、それすらできない。教員として声が出ないこと、それは教員を続けられないということ。

担任一カ月ももたずに辞める…? 何のためにわざわざ米沢まできたんだ?

たくさん考え、たくさん苦しんだ。あの時、支えてくれた先生方は、当時は、「健先生はもう駄目だ。」と思ったとのこと。もちろん、情けないけれども自分自身でもそう思った。今となっては何がきっかけで回復できたのか思い出せないけれども、本当にとてつもなくつらく、苦しい日々だったのは覚えている。

偶然にも森友さんのファンだった自分が、短い期間ではあったけれども森友さんと同じ「声が出せなくなる」という境遇があり、どれだけ辛かったかは想像できる。森友さんご本人が一番苦しんだだろうけど14年もの長い間復活の為にリハビリを続けてくれたこと、私たちは14年間も待ったけれども、ボーカリストとして戻ってきてくれたこと、とてもうれしいし、励まされる。このブログをご本人が読まれることはあるだろうか? いづれにしても私はこれからも森友さんを、そしてT-BOLANを16年前の中学生時代と変わらず応援する。 明日3/24、森友さんは本当に久しぶりにCDをリリースする。もちろん購入。早く聴きたいな。中学時代を思い出すかもな。 明日は間違いなく良い一日になりそうだ。森友嵐士さんサイト→
www.moritomo-arashi.jp/top.html





あっ、しまった…















明日は会議があったんだ…

画像 ( )
2010.03.23:ken20

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