国民は誰でも「基本的人権」を持ち、最大限に大切にされるという建前は、「日本国憲法」の土台であり背骨でもある。
この「基本的人権」の背景には人間が人間なればこそ持って生まれた権利、即ち普遍的で、不可侵的で、そして永久的、かつ固有的な権利という意味があるのである。
憲法第三章はこの「基本権」の保障を宣言したものである。
「環境権」は、技術革新がもたらした現代の社会変動が、既存の憲法体系の予期しなかった新しい「人権侵害」とそれに対処する新しい人権として生み出されたものの一つである。
人間が生存していくためには、一定条件の環境が必要である。しかし、現代の工業化や都市化は大量に「環境破壊」を生み出し、人間の生命と生活を脅かしているのである。良好な環境を維持し生活すること自体が「幸福追求権」に該当するもといえるであろう。
また、「幸福追求権」だけでなく、憲法25条の保障する生存権からも、環境権に結び付けることができる。
生存権は、単に動物としての生命を維持できる権利だけでなく、健康で文化的な人間に値する生存の権利である。
よって、何人による環境の破壊に対しても、「公権力」による規制により、予防・阻止、または回復がなされるよう請求できなければならないのである。
環境権の内容は、①人間に値する生存の維持に必要な一定水準の自然環境であり、日照・静穏・空気・水・土壌・景観などである。
②橋・公園・道路・発電所・教育施設などの社会的環境や歴史文化的遺産などの歴史的・文化的環境にも及んでいると考えられている。
③保護対象が競合する場合には、基本的には自然環境が優位であろう。
過去の「判例」を見るに、「環境権」を構成する内容の範囲及び地域的範囲は漠然としている上、その侵害も限定しがたく、その権利概念自体まことに不明確なものである。
そして、憲法13条及び、25条はいずれも個々の国民に直接具体的権利を賦与したものでなく、「環境権」の実定法上の根拠とすることはできないとしているのである。
拙著 「憲法上の環境権」小論文より抜粋