「中央日報」の原爆記事ですが、個人的な意見と言って「終息」させようとしています。
同紙は「大韓民国」のれっきとした報道機関であります。
しかも、「論説委員」という肩書は同紙の公式見解なわけです。
個人的で済むでしょうか。
それは、日本の国会議員にも言えることであって靖国の「公式参拝」も「私的参拝」も無いのと一緒なのです。
昨日も書いたように、「靖国問題」は独善的であり、無宗教の「国立施設」を作れば良いのです。
我が国は「神道国家」ではありません。
強制的に「靖国」に合祀されて困っている「英霊」もいることを知らなければなりません。
「信教の自由」として、あらゆる「信仰」を阻害されないのです。
何故、北東アジアは、お互いを思いやり「相手の立場」に立った言動ができないのか。
そこまで憎しみ合う「意味」があるのか。
今、「ヘイトスピーチ」などが横行する「民度」の低い日本になってしまったのが悲しいです。