明治24年の今日、「大津事件」が発生しました。
訪日中だった、ロシアのニコライ皇太子が警護に当たっていた津田三蔵巡査に襲撃され負傷した事件です。
そんなのはどうでも良いわけで、その後の「展開」が重要なのです。
当時、日本はやっと欧米列強の中においてその「地位」を認められ始めた程度の国でした。
それを、「大国」ロシアの皇太子に怪我を負わせたのですから「天皇」や「政府」の慌てぶりは想像に難くありませんね。
すでに、「大日本帝国憲法」が存在し、「三権分立」を謳っていたのですが、政府はロシアを恐れて津田被告を「死刑」にしようとしました。
しかし、「刑法」では当然「傷害罪」だけでは「死刑」にできるわけがありません。
そこで、日本の天皇や皇室に対して危害を加えた者を死刑とする「大逆罪」を類推解釈で適用しようとしたのでした。
「司法権」に対する、「立法」「行政」からの「圧力」です。
当時の「裁判官」は立派でした。
それを撥ね退け「無期懲役」の判決を下したのです。
この「大津事件」で、もし「司法」が侵されていたら大変なことになっていたでしょう。
謂わば「司法権」の独立記念日。
或いは「三権分立」確立の日とも言えると考えます。