またお約束の「靖国参拝」問題。
「神道」って何だ?
「客観的」に見て、祀られているものは、「非業の死」を遂げた者であったり、ただの「木」や「石」であったりで、「多神教」ですね。
所謂、「宗教」というものとの決定的な違いは「教義」が無いという事なのです。
あったら「聞いてみたい」ものですね。
世界三大宗教だろうが、新興宗教だろうが「教義」はありますね。
ですから、私は「神道」とは「哲学」以上「宗教」未満だと思うのですよ。
「哲学」で解明できないものが「宗教」になっていくわけで、「神道」のやってることは、「アフリカ」奥地の自然崇拝や原始宗教となんら変わりはありません。
物部氏と蘇我氏の対立によって、「仏教公伝」になったのは周知の事実です。
その後、天皇家は「仏教」に帰依しました。
「維新」になるまでは、「天皇家」の菩提寺として京都・泉涌寺と宮内省の関係は綿密でした。
「神道」も「仏教」とは離れたり、交わったりしてきた歴史があります。
「宗教」とは、悪用すれば為政者にとっても都合の良いものです。
それは、「世界の歴史」が証明しています。
日本でも、戦前教育で「神道」を美化し、本来は中国の儒学→朱子学をもとに「尊王攘夷論」から維新を迎え教育勅語から「修身科」を設けました。
三流新聞は未だに、「修身科」創設を訴えていますが、これは本来「中国」の哲学ですよ。
中・韓嫌いの言う言葉なんですかね。
歴史を知っているのでしょうか。
「歴史認識」。
今、「道徳教育」が叫ばれています。
私は、賛成です。
いくら、「中国」発祥の考えでも、「仁」や「徳」は必要ですし、今の日本には足らないでしょう。
しかし、「歪曲」して教育しないで下さい。
「為政者」のための教育ではなく、「国民」のための教育をしてください。