「太平記」など、なかなか読む機会はないかもしれませんが、文学として読むのであればとても面白いものです。
但し、歴史の事実とはかけ離れていることを「前提」に読むべきでしょう。
後醍醐天皇の即位から、細川頼之が管領に就任するまでの「動乱」を物語化したものです。
作者は不詳ですが、かなりの「硬派」であることは間違いありません。
「因果応報」や「悪霊」、「儒教的」な逸話が多いです。
その中でも「突出」しているのは、「楠木正成」ではないでしょうか?
その登場の仕方もすごいものです。
後醍醐天皇が、鎌倉方に追われ疲れて寝入ったときの夢に「南側に木があってそこに誰も座っていない玉座があったとか・・・」
そこで、帝は木に南と書けば「楠」だ、近くに楠という武将はおらんか、ということで呼ばれたことになっています。
「楠木正成」は当時、「悪党」と呼ばれていました。
これは、現在のそれとは違い「自由」に動く武将。
つまり「運送」などに関わっていた人間と考えられています。
「ばさら」という言葉がありますが、それに近い比較的時代の先端を行っていたのでしょう。
で、結局「楠木正成」は戦に敗れ戦死するのですが、その時代では当然「逆賊」となります。
しかし、時代は過ぎて「江戸時代」になると様相は一変するのです。
「水戸黄門」の大日本史で、「大楠公」といって崇められました。
南朝を正統とする考えです。
「水戸学」と呼ばれ→「尊王攘夷論」→「皇国史観」になって行きました。
戦時中、「七生報国」という言葉がもてはやされました。
「七度生まれ変わって、敵を破ろう!」ということです。
これは、「湊川の戦」で「楠木正成」が言った言葉とされていますが、実際は、弟の正季です。
しかも、軍部は「七生報国」の言葉の前段を敢えて省きました。
本当は、「罪深きことだが・・・」の一言があったのです。
戦後、「楠木正成」の利用価値がなくなったのか、「話題」に上ることなどありませんね。