山形市での話。
「葬儀代出せずに死体遺棄」。
未だに、というかこういう経済状態だからというべきか・・・。
でも、「視点」を変えて見てみると、なぜに「葬儀」に金が掛かるのか?
という問題ではないでしょうか?
都会では、「友人葬」「家族葬」など宗派を問わずやり始めています。
宗派にもよりましょうが、「戒名」「供養」だけで莫大な金額が掛かるのは事実です。
「友人葬」や「家族葬」ならこれらは一切掛かりません。
最低なら「火葬代」と「納骨代」だけで済むでしょう。
「戒名」「供養」「引導」がないから成仏できないとは釈尊は説いていません。
要は、亡くなった方への「真心」であって、こんな事件になったら逆に亡くなった方が可哀想です。
私は、例え一文無しでも親族を「真心」で送ってあげたいと考えました。