江戸幕府の宗教政策として檀家制度を設けました。
一向一揆やキリシタン問題などで、宗教を危険視したのでしょう。
そしてそれを、自らの支配下に置こうとしたのでした。
①宗教儀礼の奨励と本寺末寺制度を基調とした法度の制定。
これにより本寺の権限強化と幕府の監視の強化で布教ができなくなりました。
②宗門改め。
本来の目的はキリシタン弾圧で、庄屋等に所属の住民の宗派を報告させました。これを俗請といって、その役割が寺院に移り寺請になりました。
③この寺請が次第に行政機能となり戸籍係のような役割を果たすようになりました。
旅に出るにも、寺院の許可が必要となります。
こういった経緯で僧と俗の上下関係が生まれたのです。
釈尊もどの宗派の祖師も、葬式しろだの戒名だの塔婆出せだの供養しろだの言っていません!
だいたいが、きちんと戒律を守り妻帯せず肉食しない坊主がどこにいましょうか?
永平寺にはいそうだな?
何回忌とかも、釈尊自ら世間体と申しております。
「坊主丸儲け」の時代はそろそろ終わりにしましょうや!
最後に僧も俗も「凡夫」。娑婆世界では同じ修行の身です!
新興宗教の中でも上層部が官僚化しているのは事実です。
信仰に役職は関係ありません。
まずは、原点回帰!