「比例代表制」が一番わかり易いと書きました。
しかし、その「弊害」も発見しました。
参議院は、著名人や知識人で「構成」されるべきものです。
かといって、ただの「有名人」ではいけませんね。
今回も、「嶋大輔」や「佐竹雅昭」らの名前が挙がっています。
どれだけ「立派」な方なのかは存じ上げませんが、「芸能」「スポーツ」の世界と「政治」の世界は違いますね。
そこを「冷静」に考えなくてはなりません。
無名の「有識者」の方が多数であるはずなのです。
比例代表制がただの「人気投票」にならないことを願います。
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仙台での気付き
何て暖かいのでしょう。
昨晩は、Tシャツ1枚で夜の「国分町」に消えたわけです。
しかし、不思議なものです。
47年間、横浜・横須賀に在住し、「ウインズ」の人ゴミや「ランドマークタワー」の高さに慣れているはずなのに、「仙台市内」の「車」「人」の量にウンザリしました。
また、季節観に敏感になりつつ有ります。
「サクラ」の開花状況については既に書きました。
東根から48号線に向かう道路脇に「桃の花」が咲いていることに自ら気付いたのです。
神奈川時代なら、「サクラ」の満開でさえ気付かなかったのが事実でした。
精神的余裕が出たのか、関心が無かったのか。
恐らく、前者であると「自己分析」しました。
人間は、自然には勝てませんよね。
その、風土にあった生活をして行く「決意」を改めて感じた瞬間です。
昨晩は、Tシャツ1枚で夜の「国分町」に消えたわけです。
しかし、不思議なものです。
47年間、横浜・横須賀に在住し、「ウインズ」の人ゴミや「ランドマークタワー」の高さに慣れているはずなのに、「仙台市内」の「車」「人」の量にウンザリしました。
また、季節観に敏感になりつつ有ります。
「サクラ」の開花状況については既に書きました。
東根から48号線に向かう道路脇に「桃の花」が咲いていることに自ら気付いたのです。
神奈川時代なら、「サクラ」の満開でさえ気付かなかったのが事実でした。
精神的余裕が出たのか、関心が無かったのか。
恐らく、前者であると「自己分析」しました。
人間は、自然には勝てませんよね。
その、風土にあった生活をして行く「決意」を改めて感じた瞬間です。
2013.04.24:katsumin:[コンテンツ]
人ごみの中へ
今朝の48ライナーで仙台に向かいます。
退屈な「講義」が待っていることでしょう。
楽しみが有るとすれば、久々に「太平洋」の食材を食すことと、「ソト」の汚名返上くらいでしょうか。
帰宅は明晩になります。
帰宅したら、「記事」を書きます。
明るい記事が書けますように。
退屈な「講義」が待っていることでしょう。
楽しみが有るとすれば、久々に「太平洋」の食材を食すことと、「ソト」の汚名返上くらいでしょうか。
帰宅は明晩になります。
帰宅したら、「記事」を書きます。
明るい記事が書けますように。
2013.04.23:katsumin:[コンテンツ]
神道って
またお約束の「靖国参拝」問題。
「神道」って何だ?
「客観的」に見て、祀られているものは、「非業の死」を遂げた者であったり、ただの「木」や「石」であったりで、「多神教」ですね。
所謂、「宗教」というものとの決定的な違いは「教義」が無いという事なのです。
あったら「聞いてみたい」ものですね。
世界三大宗教だろうが、新興宗教だろうが「教義」はありますね。
ですから、私は「神道」とは「哲学」以上「宗教」未満だと思うのですよ。
「哲学」で解明できないものが「宗教」になっていくわけで、「神道」のやってることは、「アフリカ」奥地の自然崇拝や原始宗教となんら変わりはありません。
物部氏と蘇我氏の対立によって、「仏教公伝」になったのは周知の事実です。
その後、天皇家は「仏教」に帰依しました。
「維新」になるまでは、「天皇家」の菩提寺として京都・泉涌寺と宮内省の関係は綿密でした。
「神道」も「仏教」とは離れたり、交わったりしてきた歴史があります。
「宗教」とは、悪用すれば為政者にとっても都合の良いものです。
それは、「世界の歴史」が証明しています。
日本でも、戦前教育で「神道」を美化し、本来は中国の儒学→朱子学をもとに「尊王攘夷論」から維新を迎え教育勅語から「修身科」を設けました。
三流新聞は未だに、「修身科」創設を訴えていますが、これは本来「中国」の哲学ですよ。
中・韓嫌いの言う言葉なんですかね。
歴史を知っているのでしょうか。
「歴史認識」。
今、「道徳教育」が叫ばれています。
私は、賛成です。
いくら、「中国」発祥の考えでも、「仁」や「徳」は必要ですし、今の日本には足らないでしょう。
しかし、「歪曲」して教育しないで下さい。
「為政者」のための教育ではなく、「国民」のための教育をしてください。
「神道」って何だ?
「客観的」に見て、祀られているものは、「非業の死」を遂げた者であったり、ただの「木」や「石」であったりで、「多神教」ですね。
所謂、「宗教」というものとの決定的な違いは「教義」が無いという事なのです。
あったら「聞いてみたい」ものですね。
世界三大宗教だろうが、新興宗教だろうが「教義」はありますね。
ですから、私は「神道」とは「哲学」以上「宗教」未満だと思うのですよ。
「哲学」で解明できないものが「宗教」になっていくわけで、「神道」のやってることは、「アフリカ」奥地の自然崇拝や原始宗教となんら変わりはありません。
物部氏と蘇我氏の対立によって、「仏教公伝」になったのは周知の事実です。
その後、天皇家は「仏教」に帰依しました。
「維新」になるまでは、「天皇家」の菩提寺として京都・泉涌寺と宮内省の関係は綿密でした。
「神道」も「仏教」とは離れたり、交わったりしてきた歴史があります。
「宗教」とは、悪用すれば為政者にとっても都合の良いものです。
それは、「世界の歴史」が証明しています。
日本でも、戦前教育で「神道」を美化し、本来は中国の儒学→朱子学をもとに「尊王攘夷論」から維新を迎え教育勅語から「修身科」を設けました。
三流新聞は未だに、「修身科」創設を訴えていますが、これは本来「中国」の哲学ですよ。
中・韓嫌いの言う言葉なんですかね。
歴史を知っているのでしょうか。
「歴史認識」。
今、「道徳教育」が叫ばれています。
私は、賛成です。
いくら、「中国」発祥の考えでも、「仁」や「徳」は必要ですし、今の日本には足らないでしょう。
しかし、「歪曲」して教育しないで下さい。
「為政者」のための教育ではなく、「国民」のための教育をしてください。
2013.04.22:katsumin:[コンテンツ]