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▼戦艦大和 

 妻の親父さんは徴兵検査後海軍に入隊
太平洋戦争が始まって色々な戦艦、駆逐艦で勤務
下りた船が順次沈没 強運の親父であったようです。
対戦中帰国時に広島で停泊中の「大和」に乗船したようです。
戦後約50年たって(私の息子、船関係)孫との会話に話が弾んだ時に
守秘義務でそれまで誰にも語らなかったのに
大和は「エジソンも感動した素材」が使用されていた。
重要な部分に使用され黒いペンキが塗られているのを見て国内の厳しい状況も知り他の船で出陣
その後フィリピンで終戦、捕虜後帰国
 数年前一番末っ子の息子と上記の孫に見守られて亡くなりましたが、私と違って言葉少ない親父さんでした。
もっと話を聞いておけばよかった?
カルマンさん、歴史の一つとしてほんの少しこんな話も
だけど 
戦艦大和は永遠に不滅であって欲しいものです。


●2006.03.01
●老、保守店親父の忘れたほうが良い話
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