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▼日曜随想(2月分)
山形新聞2月24日に掲載された日曜随想です。
「山形はまるごとパワースポット」
久しぶりに東京へ出る機会があった。
新幹線の窓から眺める景色が、山並みから雑居ビルへと変わっていく。
山形ではどこを見ても大空をバックに樹々があって、
そこかしこに川が流れ、季節の香りがする風が吹いている。
自然に囲まれた暮らしに慣れているせいか、
人間が作ったもので埋めつくされている東京の街は、
映画か舞台のセットのように見えた。
若い頃はその造形が刺激的で、大好きだったのになぁ。
年を重ねると食指が変わるように、住む場所の好みも変化するものだ。
以前、農業生産者の方が集まる会で講演をさせていただいたときのこと。
会場が庄内だったこともあり、
「霊験あらたかな出羽三山の裾野で育つ農作物ですから、
すばらしくないわけがないです」と、
そんな内容も交えてお話したところ、懇親会の席で、
「浅倉さん、さっきの話の中でね、
山形は地場のエネルギーが高いって言ったでしょう。
その感覚、なんとなく分かりますよ。」
と声をかけてくださる方がいた。
「農業ってね、どんなに技術を駆使しても、最後は天候が司る。
神のみぞ知るということ。
だから節目節目にお祭りをして、祈りを捧げるんです」。
農業や医療といった命の営みにかかわる仕事をする人は、
神の采配にゆだねる場面が多いだろうし、
その謙虚な念いが土地や空間のパワーにつながっていくように思う。
山形に帰ってきて良かったと感じるのは、
あちこちに手を合わせる場所があることだ。
県内各地に点在する最上三十三観音や、慈覚大使が建立した宝珠山立石寺も好きだし
(峯の浦遺跡などがある奥山寺もおすすめです)、
置賜地方で数多く見つかっている草木塔(草や木に感謝し魂を供養する塔)、
朝日町にいたっては、おそらく世界に類のない(?)空気神社まで祀ってある。
「山形はもう一つの日本」というキーワードで
インターネット検索をしていただくと、
2008年に掲載された山形新聞の記事がアップされている。
パリで開かれた経済協力開発機構(OECD)の観光委員会で、
日本政府代表は山形県の自然崇拝や即身仏といった「精神文化」を
観光振興の一つとして紹介したのだそうだ。
前回の随想で、病気のためにしぶしぶ帰省したと書いたけれど、
もしもあのまま何ごともなく東京で暮らしていたら、
未熟な私はお金や名誉がある人に心酔し、
そうあることが人生の幸せや成功、到達点と解釈して、
物欲主義の人生で終わっていたかもしれない。
もちろん山形にいるとはいえ、先ばかり見て焦ったり、
失敗して「すみません」と言いながらも、
心の中では「でも私だけが悪いんじゃないもの」と言い訳したり、
あるいは必要以上に自分を卑下して責めたりと、
感情の振り子が大きく揺れる日もある。
そんな不調和な心を持て余したとき、
山や木、花、石、川、土などに目をむけていると、
いつしか身体がほぐれ、穏やかなリズムが戻ってくるのだ。
私の場合は、六本木のビルや新宿の夜景に合掌しても、
この安心感は得られなかっただろう。
自然界の生命体に偉大さを感じるのは、他者と比較しない存在だから。
ちょっと例えが変ですが、
羽黒山が湯殿山と月山より標高が低いからといってひがんだりしないし、
川西町のダリアと飯豊町のユリが
「私の方がきれいよ」と対抗意識を燃やしたりはしない。
それぞれが、ただただ生きて、地球に必要な役割を果たしている。
もしもなんらかの影響で淘汰されることがあったとしても、
周りを恨んだりもしないだろう。
そしてそこには、自然の中に宿る八百萬神がいて、
励ましたり癒したりしてくれる。
自然崇拝は心を納めればいいのだから、お財布にもやさしくてありがたい。
ここ数年、パワースポットという言葉もよく聞くようになり、
伊勢神宮や出雲大社、屋久島といった場所も一度は行ってみたいが、
山形は住んでいるだけでエネルギーチャージができる土地だと思うのだ。
*写真はいつぞやに撮った、力こぶっな感じの雲くん。
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