山形県は上山市。蔵王連峰を望む南向きの小高い丘に、一面のブドウ畑が広がる。タケダワイナリーは1920年創業の日本でも老舗のワイン醸造所。「良いワインは良い葡萄から」をモットーに、およそ20年の歳月をかけた本当の土づくりと葡萄づくり。ここまでこだわった醸造所は、国内でも極めて稀な存在と言えるだろう。
スタンダードワインとして、根強いファンを持つ「蔵王スターワインシリーズ」から、日本初の高級発砲ワインとして、ワイン愛好家やソムリエからも高い評価を受ける有名なドメイヌ・タケダ(キュベ・ヨシコ)まで、幅広いニーズに答えるワインリストで全国のユーザーの舌を楽しませている。
タケダワイナリー/岸平典子さん
2005.09.01:SAMIDARE スタッフ:[かみのやま温泉の人々]
国立の醸造学校で本格的なワイン造りの勉学に励んだ。
日本人であるというアイデンティティを再確認
元来の誰にでも気さくな人柄と、山形弁(いわゆるずーずー弁)のイントネーションや鼻濁音がフランス語のそれと酷似していたことも手伝ってか、あっという間にフランスという国にも深く溶け込み、一時は本気でフランスに残ることも考えたという典子さんだったが、そんな彼女を日本に引き戻したものは、他ならぬ本場フランスの変わらぬワイン造りの姿だった。
「シャトー・マルゴーはこれまで何人も経営者が変わったけれど、ワインの品質そのものは全く変わらないんです。ブランドも職人もそのまま残る。それどころか長い長い歴史をかけて少しづつ進化していく。それをフランスでやることは、フランス人にとって意味のあること。自分が生まれた国で、地域でどこまでやれるかチャレンジしたいと思った。」フランスに渡り、日本のことをまったく知らない自分にも気づいた。日本人であるというアイデンティティを再確認し、4年後の1994年に帰国、故郷での新たな挑戦が始まった。
「シャトー・マルゴーはこれまで何人も経営者が変わったけれど、ワインの品質そのものは全く変わらないんです。ブランドも職人もそのまま残る。それどころか長い長い歴史をかけて少しづつ進化していく。それをフランスでやることは、フランス人にとって意味のあること。自分が生まれた国で、地域でどこまでやれるかチャレンジしたいと思った。」フランスに渡り、日本のことをまったく知らない自分にも気づいた。日本人であるというアイデンティティを再確認し、4年後の1994年に帰国、故郷での新たな挑戦が始まった。
故郷上山は、驚くほどワイン造りには適した土地だった。
葡萄栽培では不利と言われている日本。しかし9年ぶりに戻った故郷上山は、驚くほどワイン造りには適した土地だった。雨量が比較的少なく、寒暖の差が大きい全国でも有数の果実の栽培適地。そして何よりも先代が丹精込めて作り上げてきた土は、本場にも差ほど引けをとらない良質の土だったのである。
帰国後は武田家の長男である伸一さんが経営、そして典子さんが栽培と醸造を担当。しかし世代が移り、まさに新しい流れが芽吹き始めた矢先、突然の事故で3代目の伸一さんが他界するという不幸がタケダワイナリーを襲う。悲しみに暮れ、会社を続けるかどうか、はじめは躊躇したという。自分が経営などやっていけるのだろうか?そんな典子さんに会社を継ぐことを決心させたのは、ある兄の友人の言葉だった。「経営どうこうはいい。<キュベ・ヨシコ>が無くなってもいいのか?」
帰国後は武田家の長男である伸一さんが経営、そして典子さんが栽培と醸造を担当。しかし世代が移り、まさに新しい流れが芽吹き始めた矢先、突然の事故で3代目の伸一さんが他界するという不幸がタケダワイナリーを襲う。悲しみに暮れ、会社を続けるかどうか、はじめは躊躇したという。自分が経営などやっていけるのだろうか?そんな典子さんに会社を継ぐことを決心させたのは、ある兄の友人の言葉だった。「経営どうこうはいい。<キュベ・ヨシコ>が無くなってもいいのか?」
ワインは歴史が作るもの。
「自分の思いだけでつくるな、ワインはみんなで造るもの。」兄である伸一さんが生前何度となく口にした言葉だったという。「経営者になってから、醸造だけをしていた頃には見えていなかったものも見えるようになりました。」みんなの想いが一緒であれば、おのずと美味しいものができる。その言葉が示すように、葡萄畑で働く人たちは皆キラキラとして、とても清々しい顔をしていた。
また、「ワインは一代でつくるものではない」この言葉をやさしくゆっくりとした口調で繰り返す典子さんがとても印象的だった。「ワインは歴史が作るもの。父や兄が残した物、今の品質をレベルアップして次の世代へとつなぐ歴史の礎になりたい。」心からワインというものを愛し、ワイン造りに携わるすべての人たちの想いがこの一言に集約されている。
また、「ワインは一代でつくるものではない」この言葉をやさしくゆっくりとした口調で繰り返す典子さんがとても印象的だった。「ワインは歴史が作るもの。父や兄が残した物、今の品質をレベルアップして次の世代へとつなぐ歴史の礎になりたい。」心からワインというものを愛し、ワイン造りに携わるすべての人たちの想いがこの一言に集約されている。
生まれた時から、傍らにはいつも葡萄があった...
生まれた時から、傍らにはいつも葡萄があったという典子さん。父重信さんは、良質なワインが手に入ると決まって幼い典子さんにも飲ませたという。いいワインと言われるものはいい香りがする。幼い頃はただ、葡萄がワインになっていくということが不思議だった。