上村のノート
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流星 大地に立つ
大体組み上げて、あとは細部とデカールを貼るところです。なかなかスマートで流麗な格好のいい機体です。ここから見ると逆ガル式の形状がよくわかります。飛行機がなぜ飛ぶかはまだわからないところがあるそうですが、飛ぶんだからいいよね、といったいい加減さが結構好きです。
2010.10.31:
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秋の空に白い雲
あんなに暑かったのに、朝晩は寒くなりました。すっかり秋になり、もう冬かと思う頃です。プカプカと空に浮かぶ雲もこれが今年の最後かと思ってとりました。よく見ると月も一緒に写っています。青い空は大好きです。
2010.10.24:
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夕焼けの翌日は晴れ
体育祭の日
競技場の夕焼けです。とってくれとのリクエストにお答えしてとりました。電柱は最近よくとるようになりました。友人の写真家小岩氏の影響かも。
この日は午前は雨。その後晴れてどうにか体育祭ができました。
雨降って地かたまる。そんな感じで行きたいね。
2010.10.20:
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流星号応答せよ
我々のスーパーマシンといえば、なんと言っても「流星号」。未来の国からやってきたタイムパトロール「スーパージェッター」の愛車で、水陸両用。空も飛べるしタイムマシンでもある。人工知能が内蔵され、自動操縦が可能。腕時計型の無線機で「流星号応答せよ」と呼びかけるとマッハで駆けつける。左腕にマジックでアンテナつきの腕時計を書いたり、愛車を「流星号」と名づけたりしたことのある人は私たちの世代にはいるはずだ。
この飛行機に心引かれたのも、もしかすると「流星」という名前からかもしれない。しかもただの「流星」ではなくて「流星改」。この「改」がつくと性能が30パーセント以上アップするお約束もある。翼の形状が特徴的でいわゆる「逆ガル式」。
やはり名前は大切だ。私も前の車はこっそり「流星号」と呼んでいたし……。
2010.10.11:
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残しておきたい風景
さくらんぼタントクルセンターの脇にはリンゴ畑がありました。
東根は「さくらんぼ」は有名だが、他には何もとれないのか。そんなことがあるはずはない。リンゴが枝もたわわになっている光景は青い空と緑の葉という色の対比もあり、爽快です。あんなに暑い夏には季節も狂ってしまうのかと思ったものですが、しっかり秋がやってきて、実のなる「実り」もありました。自然はすごい。人間はなまじ目の前が見えるだけ逆に気がつかないこともたくさんあるようです。
2010.10.10:
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文芸部高総文祭に行く
文芸部は高等学校文化連盟(高文連)に加盟している。先週末には高文連主催の山形県高等学校総合文化祭が開催された。今年は村山地区主会場で、文芸は東根市さくらんぼタントクルセンターが会場となった。
午前中は講演会。脚本家で小説家、テレビの番組プロデューサーまでつとめる山形県出身の阿部美佳先生より「物を書くことはサービス」という演題で創作についてのいろはを教わった。例年にもまして勉強になる講演会であった。「生活すべてがネタになる」という言葉はとても大切で、学校にもあてはまる。教師も教室と教科書が世界のすべてになってしまうと人間にも幅がなくなる。生活のエリアを広げてネタ集めに力を入れなければならないと感じた。11月もおなじみの「今夜はなまらないと」に出演する予定だそうだ。お楽しみに。
午後は交流会。県内の文芸部員と様々な話題で盛り上がり、楽しく過ごしたようだ。
先々週は「山川健一先生」先週は「阿部美佳先生」とめったに会えないプロのお話を聞くことができた。せっかく高等学校に通っているのだから、部活動は人生のネタになるいい機会だと思う。こういうのやらないなんてもったいない。
2010.10.10:
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MEET THE 山川健一
小説家の山川健一氏と会いました。
氏は私が大学生の頃デビューした当時は新進気鋭の青年作家でした。私は大学では文芸部に所属していたので、とても身近(一方的にこちらから思っている)な作家の一人です。
置賜地区文芸専門部の研修会に講師としてきて下さいました。講演と文芸評論家の石川忠司氏との対談?や作品講評などしてくださいました。来年から開設される東北芸術工科大学文芸学科の学科長に就任する予定です。
小説を作る上で、また読む上で参考になるお話しが満載で大変勉強になりました。会の主体はもちろん高校生の文芸部員です。本校からも7名参加しました。中央で活躍している小説家の話をじかに聞けるという機会はなかなか無いもの。文芸部の醍醐味はこういうところにもあります。
2010.10.02:
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流星
小さい頃は星を見るのが好きだった。SF小説も大好きで、宇宙にも興味があった。
今作っているのは「流星改」。艦上攻撃機だ。戦闘機以外の飛行機を作るのは実は初めて。きっかけは単純に名前。日本の飛行機は名前がいい。
2010.10.01:
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人生はかけぬけるものじゃない
「心を開いてYESといってごらん。すべてを肯定してみると答えが見つかるもんだよ。」
I谷さんのすすめでジョン・レノン ミュージアムに行ってきました。以前からあることは知っていて、まぁ、そのうち行ってみよう、と思っていました。それが今年の9月30日で閉館するということになりました。もう「そのうち」どころではなくなりました。中学生の息子を誘って無理矢理行きました。
私はすでにビートルズの世代とは言えないかもしれません。熱心に聞いたのは中学時代。しかし小学生の時にビートルズはすでに解散していました。大学1年生の冬、ジョン・レノンの新作アルバムが出て、生協のレコード・セールで手に取りました。ライナーノーツを開いてみたら、いつものようにヨーコを讃美する歌詞が目に入り、買うのを躊躇して帰ってきました。その夜です。ラジオからジョン・レノンの暗殺のニュースが流れました。翌日にはどのレコード店に行ってもジョンのアルバムは売り切れて手に入りませんでした。いろんなメディアが彼の特集をして、それまであまり知らなかったことも知るようになりました。
雑誌プレイボーイが取材したインタビューは単行本として出版もされました。受験生を終えたばかりの大学生の私には大変ショックな言葉が次々でてきました。そして、若者だった私が人生を考えるようになったのだと思います。だから、ジョン・レノンの世代と称されればそうかもしれません。
ミュージアムにはジョンの語録が展示されていました。読みながら涙が出ていました。不思議な体験でした。ここに自分の青春や人生の原点があったことを思いだしたような気持ちです(大げさですが)。まだ大学生だった頃人生に足を踏み出す原点で心の支えだった言葉がここにはありました。忘れるはずのない言葉だったのに、読んでみて心が洗われました。
私はもうジョンの年齢を遙かに超えてしまいました。大学を出て20年以上たっています。今は逆に自分の人生はどんなだったかをふり返ってしまいますが、原点に返りたいと強く思います。大学生の頃読んで影響を受けた本にもう一度触れてみようと思いました。とりあえず John・Lennon PLAYBOY INTERVIEW から。
足が痛くて杖をついて行きました。あの頃はこんなになるとは思いませんでした。走れなくなるのは心臓あたりが苦しくなるんだろう、と思っていたので。まさか、膝や腰だとは。それで恥ずかしながらいつものスタイルで行きましたが、おかげでいろんな方から情けをかけていただきました。恥ずかしながらもありがたいことでした。久しぶりに足が動きませんでした。
2010.09.20:
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呪われたバルキリー
どうもうまくいかない。変なところで不具合が。
この機体は呪われている。というより私がこの機体を作ろうとすることが呪われているのかも。とりあえず形にして、こちらもこれであとは撤退、という感じです。
やっぱりもっと硬派なものを作れという啓示かもしれない。
次は1/48流星改です。
2010.09.12:
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潤すみどり
地区大会新人戦を取材した。
暑い中どの選手も若者らしくキビキビと動いていてうらやましかった。
移動の途中で見つけた風景。緑色がみずみずしくて、気持ちも潤された。
2010.09.11:
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いよいよ息子も塗装デビュー
メサイヤ・バルキリーはどうなったのかとよく聞かれます。ここにも紹介したとおり、一通り組み上げてこれであと撤退ということにしました。今は自宅に飾っています。完全変形するのはいいのだけれど、作り慣れなかったものだから、本来平らになるはずのところが凸凹でとても満足行く仕上がりにはならず残念でした。
今作っているのは最初の「マクロス」にでた機体です。何しろ「ハセガワ」のキットだし、変形もしないので何とかこれで挽回したいと思っています。
息子がいよいよガンプラから少しバージョンアップして「塗装の仕方を教えてくれ」と言い出しました。何しろ親バカなので、さっそく模型屋に行って塗料や筆、塗料皿などを買ってきました。もともと子供とコミュニケーションをとるために始めたことなので、ちょっとうれしい一日でした。
2010.08.30:
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今度こそ
やっとログインできました。
夏休みに古い友人のO山君が自宅を訪ねてくれた。なんとHPで見て、作ったキットが見たいという。驚いて準備をし、とりあえず並べてみてもらったが、懐かしい話が尽きなかった。高校の同窓会に出席したら「見てるぞ」とも言われ、「ネットだからねぇー」と思った。おかげで同世代人との話に花が咲いた。
さて今回は前回不本意だったバルキリーをハセガワのキットで手に入れた。日本を代表するスケールモデルのメーカーで、全く変形しない機体だ。組んでみるとさすがはハセガワ。感心するところがたくさんある。
それにしてもハセガワのようなメーカーがこういうものをキットにする時代なのか……。
これは特別仕様のミンメイスペシャルでもある。
2010.08.25:
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大和発進
連合艦隊旗艦の戦艦「大和」です。初めて作りました。大和自体は大きいのだけれど、一つ一つの部品はやはり1/700なので、サイズは他の船とそんなに変わりません。機銃にしても内火艇にしても同じなわけで、以前駆逐艦を造ったときと同じ細かさです。でも、慣れているだけ、前回のメサイヤバルキリーよりはストレスなく組み上げました。マストなどは以前は真鍮線などで作りましたが、今回はキットのまま。そのため途中で折れたりして、間に合わせ的に接続しています。アンテナ線を張ることもなく、ただストレートに組んでしまいました。目が見えなくなっているので、いつまでこんなことができるかはわかりません。
大学1年生の夏休みの宿題に名著「戦艦大和の最期」を読んでレポートを作る課題が課されました。戦艦大和には小学生の頃から親しんでいたつもりでしたが、イメージが大部変わったことを覚えています。子供向けの本にはただ勇ましいことや、興味をそそるところしか書いていなかったのですね。実際には、「日常」と同じように、言葉にしえない様々なこともある。大学で学ぶにつれ、知らなかったことも少しはわかるようになりました。といっても、小学生の頃から興味を持っていたことなので、学んでみる気になったということもあるのではないかと思います。興味を持つことは、今にだけ大切なのではなく、将来の布石になっているのかもしれません。
今やっている勉強も、今すぐ役立たないからといって、意味のないものではないということです。
ディスカバリーチャンネルでも特集していました。今では調査も進み、海底にどんな風に沈んでいるかもわかっています。乗組員3000人が犠牲になった戦艦大和の最期も戦争のむなしさを伝えていかなければならないキーワードなのではないでしょうか。まもなく終戦の日を迎えますが、今の私たちの生活も多くの先人たちの人生からつながっていることを忘れてはならないと思います。
机の上がゴチャゴチャしていて、写真もあまり鮮明ではありません。その辺はちょっと残念です。
2010.08.07:
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イラアニ・文芸・新聞部合同で研修旅行に行く
恒例のイラストアニメ・文芸・新聞部研修旅行。今年はイラストアニメ愛好会主催で、宮城県に行ってきました。
イラアニ主催なので、松島でスケッチをした後、マリンピア松島見学。仙台に一泊して、二日目は宮城県立美術館、東北大学、青葉城址、仙台市博物館を見学しました。作った作品は九里祭で展示します。どうぞお楽しみに。
この三つの部はいずれも表現を主体として活動する部活です。もっとも気をつけなければならないのは、自分の小さな世界に入り込んで大きな視野をもてなくなること。自分以外の世界を知って自分の世界を広げて欲しいと、毎年行っています。イラアニ主催といっても、文芸部や新聞部も合同ですから、そちらのエクササイズもちょっと取り入れて研修してきました。休みが明けてからの活動に活かしていきたいと思っています。この旅行に関して、保護者のみなさんのご理解とご協力はじめ学校のみなさんまた、見学先の多くのみなさんにご協力いただきました。感謝いたします。
来年は新聞部主催で企画されます。いつもだと新聞社や放送局などの見学が入りますが、次回は横浜の新聞博物館に行きたいとの声もあり、現在思案中です。
2010.08.05:
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