上村のノート

▼地球防衛軍旗艦「アンドロメダ」

「アンドロメダ」は「さらば宇宙戦艦ヤマト」に登場した地球防衛軍の旗艦です。近頃は子供たちと宇宙戦艦ヤマトの話をしても通じることが少なく寂しい思いをしています。「あの青い顔の人がでる奴ですか」なんて言われます。「それはデスラー総統のことか?」と聞き返しています。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」は、私が小学生の頃テレビで放映された「宇宙戦艦ヤマト」の続編として、映画になった作品です。小学生の頃はあまり関心が無く、テレビで見た覚えがありません。後で再放送で見ました。単行本も読みました。映画になったのは確か中学生か高校生の頃ではなかったかと思います。ラジオで特集番組が組まれ、ラジオドラマで予告番組も作られました。当時米沢にあった「中央映画館」に見に行きました。とても感動しました。涙もボロボロこぼれました。
事前に放送されたラジオ番組で、監督やディレクターが「子供たちに本当に大切なものを教えたい」と熱く語っていて、映画を見終えた後、すっかり感動していた私はこの人達にかなり心酔していました。ロマンアルバムも買うほどの熱の入れようでした。
主要な登場人物はみんな死んでしまって、自分を犠牲にしてみんなを救う姿に圧倒されました。
監督やディレクターは「ヤマトはもう作りません。みんなの心の中に生きています」なんて言うのでさらに心に焼き付きました。

ところが数年して、「ヤマトV」が作られることになりました。映画で死んでしまった登場人物をかなり無理矢理生き返らせたり、「これは別の話」などという(私にとっては)詭弁にしか思えない理由がつけられました。しかも、しばらくすると監督やディレクターが脱税していたり、版権を争ったりする姿を見せられました。当時、純情だった私は「大人は汚い」とか「大人は口先だけだ」とすごく傷つきました。そして、「自己犠牲」といった偽善的なことを蔑むようになりました。むしろ、偽悪的な考え方に共感することもありました。

「礼」と「譲」に触れなければ、今でもずっとそのままだったかも知れません。また、若いだけだった私を育ててくれた九里の生徒たちのおかげです。「礼」「譲」は自己犠牲でなく、自分とみんなを豊かにするための本当の道筋です。互いがそれぞれ「自らの持てる力を発揮して愛する世の人々に捧げ」ることが、実は自分にも返ってくることだし、返ってこなくても自分を豊かにしていきます。そしてそれこそが「人間の尊厳を信じその高貴さにふさわしく行為」することなのです。

若い頃の傷が少し癒されて、落ち着いてこの作品を見ることができるようになりました。一時は名前を見るだけで気分が悪くなるほどでしたから。

アンドロメダは、映画では、最新鋭なのにあっという間にやられてしまう不幸な船です。これはテクノロジーへの過信を象徴しているのだそうです。それにしても、この船が私は結構好きなのです。
画像 ( )
2010.01.11:kami33

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