菅野芳秀のブログ

▼虹色の里からー息子の就農ー

 この文章は昨年、「虹色の里から」に書いたものです。「虹色の里から」には少しカタイ文章を、「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」にはちょっとクダケタ文章を書いています。



田植えの季節だ。

我が家ではこの4月から、息子が一緒に農業をすることになった。

 人生どの道に進もうとも「農と食」を学ぶことは人が生きていくうえでの基本を学ぶこと。こんなことを話し合って、高校卒業後、農業の専門学校に進んだ。卒業してからはどこに就職し、どこで暮らそうとお前の自由だよ、自由に選べばいいと伝えていた。それが我が家で就農するという。うれしいような、切ないような・・。私の身体は楽にはなったが、心中はいささか複雑だ。

 農業しようかなと最初に息子が話したとき、真っ先に反対したのはばあさんだった。

「なにもお前が百姓することないよ。苦労するのは目に見えている。いい野菜が欲しいならサラリーマンにでもなって、きちんと収入を確保した上で、農民に向かって『安全、安心の農産物を作ってください。私達も応援しています』と言っているのが一番いいよ。」

うまいことを言う。そばで聞いていた私は思わず笑ってしまったが、息子は方針を変えなかった。

「オレが結婚したならば、相手のひとを農家の嫁にはさせないよ。」息子がこう切り出したのは先日のことだ。「嫁は掃除、洗濯、食事など家事全般をこなしながら自分の仕事を続けなければならないべぇ。疲れていても、なかなかお義母さんやってよとはいえない。」

 母親を通して、女性が別の仕事を持ちながら嫁をやっていくことのしんどさを見て来た息子の一つの結論らしい。
だから仕事をもっている相手と家事を分担しながら町のアパートで暮らし、自分はそこから田んぼや鶏舎に通いたいと言う。それを女房に話したら、息子がそういうのなら賛成するよ、それに・・と付け加えた。

「あなたも結婚する前は私を農家の嫁にはしない、家事も育児も分担しようといっていたのよ。けど、理屈だけで実際にはできなかった。息子はアパートに暮らすことで親父のできなかったことをやってみようというのだからおもしろいじゃないの。」

 確かに大切なのは家族の形ではなく、それぞれの人生をそれぞれが納得して過ごしていくことだ。一般論としてなら分かる。でも、だからといって通いで百姓ができるのか。家畜と一緒に、土と一緒に暮らしながらというのが我々農家の基本だと思うのだが。

 息子は村の消防団の一員となった。夕方、農作業を早めに切り上げ、団のはっぴを着て勇んで出て行った。やがてまちで暮らすとしても、村を守る構成員としてがんばっていくということだろう。これも彼の選択だ。

 夫婦一緒に身体を使って農業をやってきた父母の世代。共稼ぎの我々の世代。そして息子達の世代。家も、地域社会も、農業も少しずつ変化していっている。

 我が家の、息子を含めたあれやこれやの物語がこれから始まっていく。

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