菅野芳秀のブログ

▼秋の夕暮れに

 何年ぐらい前になろうか・・・僕がまだ洟垂れ小僧だったころのことを思い出す。

 当時はどの家でも、家の中の囲炉裏やかまどで火を炊いてご飯を作っていた。その煙が家々の屋根から立ち上っていく。だから夕方になると村はうっすらと煙でおおわれていた。

 男の子は坊主頭、女の子はおかっぱ。子ども達は風邪をひいているわけではないのに一様に洟を垂らしていた。それも透明なものではなく、白っぽいものだった。その洟をこするため、上着の袖はピカピカに光っていて、遊びのズボンには例外なく膝やお尻にツギがあてられていた。そんな子ども達が村のあちらこちらで歓声をあげながら走りまわっていた。

 村の中にはヤギやニワトリ、牛や馬が飼われていて、夕方になるとエサをねだる鳴き声が聞こえてくる。犬は放し飼いで、自由に歩き回り、恋をしたり、ケンかをしたり・・・、ストレスの少ない犬自身の人生を楽しんでいた。

 そういえばあのころは酔っぱらった村人がよくもたれ合いながら歩いていたっけ。どこかの家で酒をご馳走になり、「今度はだれそれの家に行くべぇ。」「いやいや、おらえさ行くべぇ。」と一升瓶をぶら下げながらふらふらと。村の中のあっちの家、こっちの家、飲みに行くところはたくさんあったのだろう。我が家にもしょっちゅう酒飲みが来ていた。

 こんな光景も思い浮かぶ。ばぁちゃん達の立ち小便。腰巻を前後に広げて、畑の方にお尻を突き出し、両足を広げて「シャーッ」と。小便をしながら道行く人たちと立ち話をしていた。「いまからどこさ行くのや。」「うん、買い物に。お前もえがねがぁ。」「うん、えぐ。」なんてな。そんな光景になんの違和感もなかった。ごく当たり前のことだった。

 お金のかからない、自給自足のくらしだった。モノはないけれど、のどかでのんびりとした時間が流れていた。貧しかったのだろうが、子どもも大人もどこかで将来に「希望」をもっていた。

 それからずいぶんと時が流れた。イガグリ頭やおかっぱの子ども達、洟を垂らして外で歓声をあげて遊ぶ子ども達はいなくなった。ヤギもニワトリも、牛も馬も消えてしまった。村を歩く酔っ払いも、立ち小便のばぁちゃんもいない。

 そしてただむやみに忙しい。子ども達から大人まで、あわただしく暮らしている。村人どうしの関係もずいぶんと希薄になった。大人達の口から希望を語る言葉は聞かれない。モノはたくさんあるけれど、みんな・・・あんまり幸せそうではない。

 おーい!もどってこいよぉー!ヤギもニワトリも、牛も馬も、イガグリ頭やおかっぱの少年少女も・・・酔っ払いも、立ち小便のばぁちゃんもみんな戻ってこい。もう一度やり直さないかぁー!

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