菅野芳秀のブログ

▼悪戦苦闘する農業ーいま、農村で何が起きているか

座標塾第19期第4回

悪戦苦闘する農業――いま、農村で何が起きているか
山形県百姓 菅野芳秀

好きではないが、書き始めたら悲観的な話、暗い話になる。
それも仕方ない。3割を超える非正規の日本の労働者の現状を悲観的にならずに、明るく話せるかと言えば、ま、出来なくはないかもしれないが、多くの場合は失笑を買うだろう。冷めた笑いを誘うかもしれない。
農業もそれと同じですね。ここでは無理して明るい話題を拾い集めたとしてもあまり意味が無い。だから、力を抜いて、農村の現状をそのまま話したいと思う。

 私は、山形県長井市で百姓をして50年になる。経営の中身は水田が5ヘクタール(5町歩)。それと玉子を得るための放し飼い養鶏を1000羽。
 鶏の出すフンを田んぼや畑に。田んぼや畑が生み出すくず野菜は鶏の餌に。他に豆腐工場のおから、学校給食の残飯など有機廃棄物を混ぜながら地域の中でうまく活用し、農業と繋ぐ。自分では地域循環農業あるいは地域社会農業と言っている。
 中心は40歳の息子。朝早くから夕方まで働いている。
 去年、その息子が百姓やめていいかと言い出した。10年ほど前まで集落40戸のうち30軒が農業をやっていた。たった10年で20軒余りやめた。今は10軒にも満たない。更にここ数年でそれも半分以下となるだろう。
 40歳と言えば、地域農業の中心的働き手。地域からもいろんな役を要請され、それを断らずに頑張っていた。そんな息子がそういうことを言い出した。
 それはなぜか。おいおい話すが、一緒に考えていただければありがたい。

 
1)いま、稲作、畑作の現場では・・ときがくる、ときになる

 「ときがくる、ときになる」。つまり工業系の時代から農業系、生命系の時代への大きな転換期がやって来た。待望の時代の転換期だ。だけれど、本来、その中心にいなければならない俺たち百姓は、佐渡のトキのように絶滅危惧種になろうとしているよ。「ときがくる、ときになる」。
そんな実感を言葉にした。我ながらいい造語だと思っている。
 我々の村には、山形新幹線で赤湯駅、そこから長井線に入り、約50分。水田がやけに目につく。平地のほとんどが水田かと思うような風景が続く。
 その水田がいま、あっちこっちでブルドーザーが動き、大型基盤整備の最中にある。秋田も新潟も岩手も・・東北各地にも同じような光景が見られる。

 我が家の田んぼは1区画15〜30アールぐらいに整理されている。日本は山国、傾斜地が多い。大きな区画の水田はなかなか作れない。だから、1区画1・5〜2反くらいの水田になっている。そこに新しい基盤整備事業。1区画1町歩だ。100メートル×100メートルの大型区画。今、その基盤整備の工事でブルドーザーがフル稼働している。この事業は無料。工事費は農水省が払う。農家の持ち出しは無し。ただ、基盤整備工事中、米は作れないから、そこは黙って了解してくれと。
結果として、小農が生きていけなくなった。つまり1区画1町歩にするが、おまえさんところは出来るのかと問われる。その段階で、機械も買えない、後継者もいないとなると、大型化に抵抗のない農業法人に預けるか・・となってしまう。さながらブルドーザーで小農を潰し乍ら大型化が進んでいるかのようだ。言うまでもなく、大区画の水田には、新しく小農、兼業農家、新規就農者の参加する余地は全く無い。
 その農業の担い手は農業法人。中には建設業などが控えている場合もある。その場合、農業従事者は農民ではない。場合によって地域生活者ですらない。
 一口に言えば、大農経営には農民がいなくていい。農村すらなくても構わない。それを先取りする様々な現れが既に始まっている。風景が少しずつ変わってきている。

2)生産費を賄えない低米価政策が続く

 農民が農業から離れていく・・。そこには様々な原因がある。けっして一つではないだろうが、一番大きな問題は、米価を始めとする農産物の安さ。コメを言えば、ご飯一杯白米で70g。1キロ400円の米を買ったとしても一杯は28円だ。ポッキー4本分。これでもコメが高いと言って穀物を外国に依存しようとする。棄民政治。
 今、JA=農協の仮私金で一俵60キロ1万2000円前後。かつて、その価格に近い価格だったの今から50年前の1974年。玄米で一俵1万3615円。当時の新聞価格が月1700円。私は新聞奨学生で新聞配達していたからよく覚えている。今その新聞代が月4900円。1974年から2023年の間で2・9倍になっている。74年当時のコメのJA買取価格をそのまま2・9倍すると、1俵39,483円にならなければならない。だが、現在1万2000円。かつ、4割の減反。減反補助金があるという誤解が結構全国に広がっているが、何もない。
  米作りから農家が離れていくのは当然だ。暮らしていけないのだから。こんな国で稲作農業やって苦労するのはごめんだよという事だろう。

 日本の米の生産は年間670万トン。一方、輸入される小麦は550万トン、大麦200万トン。それが年々増えている。それが自民党政府の政策だ。農民はどんどんやめていく。離農奨励金が出ているうちにやめようか・・。奨励金・・農業に就くための奨励金ではない。離農奨励金だ。まさに棄農政治だ。
 
3)農機更新時期が離農時期

 
 息子の春平が農業やめていいかと言ったのは乾燥機が壊れたからだった。乾燥機は約200万円。どこをつついたってそんな資金は出ない。「友人の工場できてくれないかと言っているから農業やめてそこで働こうか、迷っている。」
 結果的にもう少し続けようとなった。家族でお金を捻出して、200万の乾燥機を更新した。次は精米籾摺り機、田植え機。その後はコンバイン、トラクターなどが待っていて
その都度やめるかどうかという深刻な崖っぷちに立たされる。春平だけではない。どこの百姓も同じだ。
 次に富夫君の場合。彼は30頭の米沢牛を飼っていて、先日チャンピオン牛を出した。一頭180万円近くで売れる。彼は30頭の和牛と7ヘクタールの水田の組み合わせで、水田の複合経営をやっている。藁を牛に踏ませ、堆肥を作り、それを水田にという循環農業をやっている。白鷹町の誰もが認める農業リーダーだ。
 彼も農業機械の更新の為、補助申請に役所に行ったら、規模拡大の成長路線を書けと言われたという。
 皆さんは、そこはうまく立ち回り、便宜的に書けばいいと思うでしょうが。職員も地域の人だから、そんなウソは通用しない。筒抜けだ。
 富夫君は、成長路線は自分の農業の理念と違うと言って、申請を撤回して帰ってきたという。彼は今もって農業をやめてないから何とか農業機械を買ったのだろう。。
 これが全国の水田百姓たちの現状だ。俺が百姓して50年経つけど、50年間では経験したことないようなスピードで家族農、小農が離農していく、やめていく。
 あの人は地域のリーダーだったのに・・と、意外な人も、普通の人もやめていく。

4)春、大規模化が作る赤茶けた田んぼ。生き物がいない水田

 農水省の推進する「みどりの食糧システム戦略」は、2050年までに有機農業の割合を25%にする。農薬の「使用効果」(使用量?)を5割に、化学肥料を3割削減するとしている。
 これは農水省官僚が、ヨーロッパとか近隣諸国に押されながら、やむなく、根拠なく、こういう数字を出さざるを得なかったとしか思えない代物だ。
 今のような大規模圃場の広がり、小農の切り捨ての延長線上に有機農業の割合を25%にするなんて不可能だ。かつ化学農薬、化学肥料の3割削減なんてのも無理。論理がめちゃくちゃだ。
 大規模化とはケミカル依存農業とセットだ。誰にだってそれは分かる。小農なら有機農業は可能だけど、大規模農業では出来ない。大規模になればなるほどケミカル依存になっていくしかない。それをどんどん水田を拡大し、一方で農薬を1/2以下に減らしていく・・無責任なことを言うな、農水省。遊休農地はたくさんある。だったら見本を見せて欲しい。
田植え直後、一面に広がっている真っ赤な畦畔。除草剤だ。本来、畔とは水田のダム。小さなダムを決壊から護っているのは畔の草。草の根が土をしっかり繋いでダムが破れないようにしている。そこに除草剤を撒くことは、そんな草を根から枯らすこと。雨が降ればボロボロ崩れ、作業のために上を歩けば、ずずっと崩れていく。これでは水田を維持できない。そのことは百姓自身が一番よく知っている。それでも除草剤を撒くのは、畔草を刈れないからだ。労力が無い。
 田植えと同時に、除草剤も殺虫剤、殺菌剤、化学肥料も撒く。そして農薬の効力期間が長くなって来た。労力削減のためだ。その結果、田んぼの中の小動物がいなくなった。夕方うるさいぐらいだったカエルは少なくなった。田んぼの虫を食べるツバメもスズメもトンボも少なくいなくなった。沈黙の風景が広がっている。赤茶けた水田、生き物がいない水田。これが大規模化の作る春の風景だ。

5)農業の地域離れ

大規模農業は地域を全く相手にしてない。首都圏、遠くは東南アジアの大都会。置賜の地域なんか相手にしたら、大規模農業なんて成立しない。地域にしてみたらの農村風景は、まさに風景でしかない。自分たちの生活とは関係ない。農産物の地域離れ。
 ただでさえ村の過疎化が進むなか、規模拡大によって農業で暮らす人は少なくなっていく。農民であることをやめた人は、村に留まる必要がない。農民の農業離れ、村離れ。総じて家族農業(小農)の消滅。。


6)大規模化の渦中では

 大規模化を進めているの渦中の人にインタビューした。
 Fさん(小国町)は本業がプロパンのガス屋。従業員からの依頼で田んぼをやり出したら他の従業員も、近所の人もやってくれということで、年間10ヘクタールずつ増えていった。今、60ヘクタール。
 山間部で大きな農家と言っても4hを越えなかった地域で、大豆が20ヘクタール、水田が40ヘクタール。農業始めて6年目。さらに増え続けている。
 彼の言葉。「小国町で家族専業農業は無理だ。会社勤めプラス二種兼業でどこまでやれるか。やれなくなって俺んところに農地を持ってくる。今、俺の村の農家の平均年齢は75歳を超えている。多くは俺の代で辞めると言っている。新規就農者が水田農業をやるのは無理。1台400万もする機械が必要。同じような価格の田植え機、トラクター、稲刈り機を買いそろえて水田農業なんて採算が合わない。結果的に土建業の方々にお願いするしかない。」
 Fさんは、「地域農業を維持する上で、異業種の参入はもう欠くことのできないことだと思うよ。」と言っていた。いまの条件ならば全くそうだ。建設業だってできるかどうか・・。
 もう1人の大規模化の渦中の人はBさん。彼は15町歩。彼はコンバインが壊れて、新しいコンバインを見に行ったら1台2000万円。15ヘクタールならそうなるだろう。農協から借金して買った。ところが、下がる一方のコメ価格。ローンが払えない。大規模だから逆にマイナスが大きい。営農資金を貸した農協が機械を持っていったという。彼は農業を続けられなくなって、より大きな農業法人(会社)の職員となった。それで生活がむしろ安定したと喜んでいた。
 これが日本を代表する穀倉地帯の置賜地方の中の出来事。雰囲気は分かると思う。



1,地域農業のもう一つの途

 いきなり、まったく違う話を接ぎ木するようだけど、ここからは違う角度で見てみたい。我々は1989年の国際民衆行事であるピープルズ・プラン21(pp21)を開催し、以来、目指すべき農業・農村の有り様を7つの要点に整理し、それを行動規範として現実に挑んで来た・・と書けば勇ましいが・・。共有できる観点だと思う。まず、それを取り組んで来た地域実践と共に、簡単に紹介したいと思う。

@生態系を乱さない農法。
農薬の大型ヘリコプターによる空中散布の反対運動。そしてその地域的展開。それを皮切りに、置賜(3市5町・・20数万人)から空中散布を無くした。そしてゴルフ場反対運動。ゴルフ場はすごく農薬を散布する。それが流れて水田に至る。土壌汚染を招く、水質、飲料水の汚染も。それへの反対運動を行い、その計画を断念に追い込む。河川の飲料水取り入れ口の上流への大型焼却所建設計画を中止に追い込む。ほぼ1ヶ月で住民の9割の反対署名を集め、中止に追い込む。減農薬米運動を地域的に展開する。(「七転八倒百姓記」現代書館参照)
A「循環」を地域的に実践する。
 循環を地域的に考えるレインボープランなどの実践。それがやがて、自給圏を担っている運動になる。これも「七転八倒百姓記」現代書館を参照
 レインボープランは町の生ゴミを活用して、消費者、生産者の区別なく、土に関わり、農に参加する地域づくりだ。堆肥がないから土作りができない。土作りができなければ、農薬散布やむなしという農協の論理とずいぶんやり合いながら、農協を批判するだけではなく、ともに課題を解決する方向で連携し、建設的な減農薬運動を進めてきた。
 
B多様性の共生社会としての地域社会の実現。
 多様性の共生社会として、共に生きていける社会をどう作り出していけばいいのか。様々な方々と連携しながら同じ地域の生活者として、イコールの立場で協力し合いながら、ともに生きれる地域社会を作り出していく取り組み。
C地域の自立と自給。
新しいローカリゼーション。都会の植民地にならない自律的な地域をどう作るか。そこから「置賜自給圏」につながって行った。
D参加民主主義。
地域の命運を国家に預けない。操縦桿を地域住民が握る。住民自治
 廃県置藩。藩とは自給圏。置賜自給圏を建設する取り組みにつなぎ、今日に至る。
E地球的視点。
Fともに生きるための農業。
農家に限らず、望めば農に関われる「国民皆農」への道づくり。
 これも置賜自給圏を建設する取り組みにつながって、今日に至る。

 この7つの条件を重ねて向こう側に見える社会こそ、我々が目指すべき地域社会ではないか。そう捉えながら、地域実践を重ねて来た。

2)新しいローカリゼーションへ

 今の国の農政にあっては、経済効率一辺倒で、兼業、専業問わず、家族農、小農を淘汰し、規模拡大をすすめること。これは「鉄の法則」として位置づけられている。そんな嵐の中、俺たちは小農と市民の生活者連携を主体に、次代に向けた食といのちの連携を足元から築いて行こうとする。その陣地を地域的に築いていく。その規範が「七つの条件」だった。俺たちは、その道を歩み続けてきたし、これからもこの道を歩み続けたいと思う。
 
 今は時代の転換期。理想を決意に変え、創り出す時代。単に克服すべき時代のものさしを批判するだけでなしに、それを乗り越える新しい基準を提案すべき時代だ。
転換期の時代性・世界性・地域性を孕んだ地域政策を持って難局に参加をする。
 経済効率一辺倒のグローバリズムの限界はとっくに明らかだ。それとはまったく違う、新しいローカリゼーション。地域自給圏。その具体的建設に向けた農民と市民の連携。
 国民(市民)皆農を織り込んだ新しい道。我々もその道を行く。

だが、農業・農村では今まで見てきたように、自民党政治の中、効率性と大規模農業が大きな勢いをもって跋扈している。食の安全性、食の持続性、自然環境を守らんという視点は、後方に引っ込められてしまったかのようだ。具体的に小農、家族農が離農に追い込まれ、いまや「農仕舞い」の言葉すら農村では交わされている。
 そのただ中、そうじゃない地域政策、そうじゃない地域作り、そうじゃない人と人との繋がりをどう作っていくのか。繰り返すが、みんなが農業に関わり、みんなが土と関わり、みんなが命の世界と関わる農的世界の実現。地域の操縦桿を国から地域住民に取り戻す。自民党から民衆に取り戻す。国は沈んでも自分たちが生活は破綻しない地域作り、地域の主体性・自立性を地域のローカリゼーションとして作り出していく。その為にも農民と市民の連携が求められている。
 
 3)新しい希望の創造に間に合うか

 小農こそ、社会性、地域性をはらむ希望への架け橋。可能性である。ただ、次代の希望に間に合うのだろうか。ボロボロと小農がこぼれていく。
 数十町歩、新潟では1000町歩を超える大規模農業が始まっているという。それは小さな農家をつぶしていった結果だ。村には累々たる小農の屍が横たわる。
 農の持つ全ての可能性が壊されつつある。先日、百姓交流会の有力メンバーが「菅野、俺百姓を辞めることにしたよ。これ最後のブドウだ」と言って持ってきてくれた。
 彼に今回のレジュメを見せた。
 「その通りだな」と言う。「次の希望に間に合うと思うか。家族農、小農が絶滅的寸前になっている現状を克服し、次の代にタスキを渡せるか?」「まずねえべな」と彼は言っていた。
 
 ほぼ50年間、農業、農村の中でいろんな運動を続けてきた。戦後、475万自作農家が、村からこぼれていく過程を脇で見ながら、そうではないオルタナティブな運動を提案し実践的にも関わってきた。楽しみも、困難さも含めて経験してきた。今、突き当たっているのは、この先がないことだ。安易に展望は描けない。
 こんな現実に囲まれているからこそ、悲観的な話だけでなく、前を向くような話が大事。その視点がなければ橋が出来ない。だけど、肝心の未来への橋をかける百姓が、目の前でこぼれて行く。この現実はとても重い。
「ときが来る」ことは間違いない。でも、佐渡のトキになっている各地の百姓たちとともに、どういう未来作りが可能なのか。それぞれの持ち場の中からいろんな提案をいただきながら、共に未来への架け橋を作っていければと思う。

以上

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2024.01.14:kakinotane
[2024.02.10]
現代農業3をみて (田代幹)

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