菅野芳秀のブログ
▼断食
志を生きようとする人にはそれにふさわしい体形があるものだ。
それがその人の説得力や求心力を構成する場合もある。言葉でいくら説いても本人の体系がそのことを嗤っているようでは話にならない。
私は190cmで103kg。体重が多いのがかねてからの課題だった。
何とか減らし、説得力ある身体を獲得したいというのがここ数十年の課題だ。
決意は幾度かした。その為の努力もした。本も読んだ。知識もある。
「志と体型の乖離を埋めなければならない。だから・・」と周囲にもそう宣言し、後戻りできない環境作りも行った。
だけど成果はいつも2〜3kg減。外見が痩せて見えるほどのこともなく終わる。そして・・、2〜3ヶ月でもとに戻ってしまうのだ。
ある時、断食に詳しい友人がいて、話の成り行き上、私もやってみることにした。背景には我が家で飼っているニワトリたちがいた。彼らは玉子を産み始めてから1年後に「断食」する。養鶏法の一つなのだが、驚くことに、断食の後、彼らの羽が全て生え変わり、外見上も、産む玉子も若鶏のようになっていくのだ。
かねてより、そのためとはいえ、ニワトリ達に断食を強いて来た身としては、当然のことながらその辛さを一度体験しなければなるまいと考えていた。その副産物として私の頭髪が生え変わり、身体もスリムになって行ければいい。
で、やったのですよ。それもニワトリ達と同じく2週間。彼らと違うのは 一日に必要なビタミン、ミネラルを錠剤でとり、プロテイン(タンパク)を牛乳瓶1・5本分ほどの水に溶かして飲むというところ。三度の食事はそれだけで、あとは水かお茶。それ以外は一切の食べ物、飲み物を口にせず、カロリーを遮断する。
これがどこかの「断食道場」でのことならばよくある話だ。でも食べ物に囲まれた我が家で、それも鶏の仕事をしながらというのは果たしてできるだろうか。こんな不安もあったが、やれたのですねぇ。
ま、ここからの顛末を聞いてください。やがて何かの参考に・・なるわけないか。
さて、絶食してからの3、4日間が一番つらかった。そのつらさが、日を負うごとにどんどん増していくのだろうと思っていたら、そうではなく、その空腹感がずーっと続くだけ。これはちょっとした発見だった。当然のことながら、頭から食べ物が離れない。コンビニにも行った。アンパンが目に付く。もしそこで食べたって誰も怪しまない。でも自分が見ている。そこは譲れない。
5日目ぐらいになると少し感じが変わってくる。たぶん、空腹に慣れ、余裕のようなものができてくからだろう。家族の食卓のすぐそばにいても、ゆっくりと新聞が読めるようになった。おもしろいのは、自分の身体の主人公は自分だ、自分の意志だという満足感が生まれてきたことだ。今までなら、もう食べないと思っても、身体の方が言うことを聞かない。欲望に振り回されていた。ところがこの頃になると、自分の意志が食欲を完全にコントロールしているという充実感、何かすがすがしい自信のようなものが生まれてきた。これは新鮮な体験だった。
さらに進むと「俺はこのまま食欲を封じ込めたまま、死ぬことだってできる。」こんな自信すら生まれて来た。
そして2週間。父親からは「戦争から帰って来た息子に家族がそれ喰え、やれ喰え・・で死なしてしまった話があったから、とにかくお粥から少しずつだよ」との助言を得ていた。最初に口にしたのは少しのお酒と味噌汁。翌日はバナナ。酒はとても甘く、みそ汁は逆に塩辛く感じた。農閑期の冬だったが、それでも雪下ろしや、ニワトリ達へのエサやりはいつもどおりにできた。少し動作がゆっくりだったり、時にはふらつきもしたけどね。
減った体重は10kg。体脂肪率も10%ほど落ちた。
病院で腎臓、肝臓、コレステロールなどの数値がどう変わったかを調べてみたら、全てにわたって改善されていて、医者は「驚きですねぇ。何かありましたか?」と。なるほど、これがニワトリにとっての断食効果か。私もなんとなく若返ったような気がしないでもない。
でも、頭髪は薄いまま。彼らのように若毛が生えてきたりはしなかった。
それに肝心の体重はね、半年ほどで元に戻ってしまったよ。
大正大学出版会「月間地域人」より 拙文
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2019.08.10:kakinotane
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