菅野芳秀のブログ
▼アジア学院
アジア学院
栃木県の那須塩原にアジア学院というアジア、アフリカ圏の、主に農村地域で活動する人たちが学ぶ学校がある。学びに必要な経費のほとんどがキリスト教の世界的基金や市民の寄付などでまかなわれている。学生たちは、と言っても、牧師さんや農村指導者などそれぞれの国では立派な実績のある人たちなのだが、農作物の生産や畜産、農産加工など農業全般及び農村におけるリーダーシップについて研修を重ねている。学びの基本は地域資源を活かした有機農業。地域をベースとした自給自足を旨とする「生きるための農業」だ。講義はすべて英語でおこなわれ、9ヶ月間の学びの後、彼らはそれぞれの国に戻り、再び”草の根”の農村指導者となって、人々と共に地域づくりに取り組んでいく。
その学生たちが毎年、我が家を訪ねてくれる。最初に訪れてくれたのは1992年ごろ。だからもう25、6年ほどになろうか。今年も総勢30人ほどの人たちが来てくれた。
外国人などにはほとんど縁がなかった片田舎の我が村に、突然アジア、アフリカ圏の人たちがバスから降りてくる。始めの頃は、いったい何ごとかと集落の人たちもびっくりしていた。
「あの人たちはどこから?」「何しに来たんだい?」
外国人が帰るのを待っていたかのように村の人たちが我が家にやって来てはこんな質問を繰り返した。ん〜、説明が難しい。
鶏舎の木陰や村の公民館を借りて、今まで取り組んできた資源循環型農業の話や生ごみの堆肥化、その考え方と実践などについて話し合う。その上で、お互いの経験や意見を交流する。続けてきたのはこんなことだった。
でもそれなら1〜2年はあるかもしれないが、25年は長すぎる。何を求めて?私にしたって気になるところだ。で、今回、思い切って聞いてみた。
(話し手;;大ノ由紀子さん:アジア学院副校長)
「学院が行く理由?
たくさんあります(笑)
レインボープランのようなプロジェクトを始めるにあたり、どう地域を巻き込んでいったのか。まず女性グループを味方につけ、そこから商工会、病院、清掃事業所、そのほか地域の人を巻き込んだ上でJAに働きかけ、最後は行政に行ったこと。女性をまず味方にするのは、おそらくどこの国の農村でも通じる方法でしょう。皆、最初に行政にいくから失敗するのだと思います。また、行政主導ではなく住民主導ということは、言うは安く行うに難い。菅野さんたちのこの経験は途上国でも大いに参考になります。
また、競争ではなく協働を心がけてきたこと。競争ばかりが目につく状況は、日本よりも途上国農村の方が激しいですよ。競争は人々を分断します。そこからは協働の事業は育ちにくい。さらに途上国はリーダーと一族で利益を独占し、汚職も多いです。そんな中で、長井の市民たちは、自分のためや、誰か特定の個人の利益の為にやっているのではなかった。「利益を得るのは個人ではなく、地域の人達みんなです。先んじて始めた人であっても利益は平等。」という台詞は、別世界のことのように、ギョッとし、自分もそうあるべきなのだ、と襟を正すでしょう。
これら全てが、元々の「成功者」「村長(あるいはその息子)」が始めたのではなく、運動家あがりの、村で白い目で見られていた若い一農民が始めて、やがて多くの市民の支持を得て行ったというところが最高に面白い。だからこそ、学生は「菅野さんはゼロどころかマイナスから始めたんだ。僕だってできるはず」と大きな勇気をもらうのだと思います。」
アジア学院が私の経験と言うよりも、それを通して学生に届けたかったのは、地域づくりの中に求められる協働の考え方だ。それは長井市民が実践を持って示して来たもの。国や文化は違えど農業、農村の抱えている問題は驚くほど似ている。それぞれの実践が国境を越え、なお、教訓として共有し合えるということか。
長井市民の一員として、アジア、太平洋圏で格闘する青年たちのお役に立てたことがうれしい。お国に帰られたらどんな喜びや苦労が待っているのだろうか。ともすれば自身の健康や生活は一番最後に回しやすい農村リーダーたち。健康に気を付けて頑張ってほしい。同じ方向を向いている限りきっとどこかで再会できるはずだから。
大正大学出版会 月間「地域人」35号所収 拙著
2018.12.06:kakinotane
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