菅野芳秀のブログ
▼虹色の里から〜土を食べる
田植えが始まり、水田は久しぶりに活気づいている。
ここ数年、田植えと同時に化学肥料を根元に落とす便利な機械が広まり、田植えまでの作業がいっそう短くなった。田んぼに堆肥を撒いている私の作業が、どうしても遅れてしまう。
「まだかぁ、いつごろ耕運できる?」
隣の田んぼの持ち主が、自分の田んぼに水を引き入れれば私の田にも浸透し、耕運しにくくなることを気づかい、声をかけてくれた。
「申し訳ないなぁ。もう少しまってけろ。」
せっかくの春なのだから、畦の野花をながめ、残雪と新緑の朝日連峰の風景を楽しみながら、のんびりと作業をすすめたいのだが、周囲のペースがそれを許さない。腰の痛みに耐えながら堆肥を撒き続ける。実際のところ、この作業が終われば、米作り作業の半分がかたづいたような気分になる。つらい仕事だ。
それでもなお、私が堆肥にこだわるのは、私たちは「土を食べている」と思うからだ。土など食べたことないという人もいるだろうが、みんな食べている。
昨年、ある地域の水田で収穫された米に、重金属の一種であるカドミウムが含まれていると新聞で報じられたことがあった。米がカドミウムをつくったのだろうか?そんなことあるわけがない。植えつけられた土にカドミウムが含まれていて、稲がそれを吸収してお米にたくわえたということだ。農民にはなんの罪もなく、つらいだけの話だが・・・。
販売されているキュウリの中から、40年ほど前に使用禁止となり、とっくに使われていない農薬の成分が検出されて問題になったこともあった。土に残っていた。
米に限らず、すべての作物は、土のなかのいいものも悪いものも区別せずに吸収し、その茎、葉、実にたくわえる。だから私たちは作物を食べながら、その作物を通して、土を食べているというわけだ。土の汚染からくる作物汚染は、洗っても皮をむいてもどうにもならない。それこそ身ぐるみなのだから。
スーパーに行けば、海の向こうの農作物がたくさん並んでいる。私たちはそれらを食べながら、中国の、アメリカの、あるいは他のたくさんの国々の土を食べている。はたしてその土は安全か?食べるに足る土なのか?はなはだこころもとない。
“食は土からはじめよう”、“守ろう、育てよう、食べられる土”である。 堆肥散布は土を守る基本だ。はずせない。
田植え作業までもうすぐだ。たんぼに漂うほのかな堆肥の臭いがうれしい。
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2006.05.20:kakinotane
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