菅野芳秀のブログ
▼「生ゴミの堆肥化」 ーさまざまなためらいの中で・・
下の文章は「虹色の里から」(朝日新聞山形版)に掲載されたものです。2年前ですがある全国紙の山形版に、レインボープランはうまくいっていないという特集が組まれたことがありました。それに対する反論を朝日新聞紙上に書こうとしたのですが、最初にだした原稿ではあまりにもリアルすぎるという担当記者からの指摘をうけ、少しオブラートに包んで書いたのがこの文章です。
レインボープランがスタートして7年目に入っている。ありがたい激励がほとんどだが、まれに参加農家が減っていることを指摘する声や、生ごみ堆肥の有効性について疑問視する声もないわけではない。
レインボープランのまちづくりは、白紙の状態に絵を描くのと違って、人びとが暮らしているただ中に、市民主体で、循環のシステムを築いていこうとする事業だ。当然すんなりとはいかない。
以前も今も、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりの連続で、いつも課題は山積だ。利と理が衝突することもある。問題がでればみんなで時間をかけ、ゆっくりと考えていけばいい。それらは未来にむかっての必要なプロセスであり、肝心なのはいつもこれからという姿勢を保ち続けることだと思っている。参加農家の問題もそういうこととして取り組んでいる。
でも、生ごみの堆肥化自体に問題があるかのような見方は明らかに認識不足だ。よく指摘される問題は効果と塩分の二つ。
まず効果についてだが、堆肥には「作物の肥料として」と、「土づくりとして」の大きく二つの用途がある。窒素成分の低い生ごみ堆肥は土づくりに最適だが、肥料としてなら豚や牛の堆肥の2倍以上は必要だ。それに比べて畜産堆肥は窒素が多く、作物への肥料効果は高いが、土づくりとして使う場合は藁や草、落ち葉などを大量に混ぜ、窒素分を薄めて使うことが求められる。
ちろん生ごみ堆肥にも肥料効果はある。森の木々はいってみたら「生ごみ」をエネルギーにして成長しているのだから。要はそれぞれの堆肥の特性をおさえて上手に使うことが基本だ。このことを取り違えた議論が多い。
塩分の問題はよくいわれることだが、その含有量は酪農堆肥とさほどかわらず、露地での使用にはなんの問題もない。雨が降らないハウスでの使用にあたっては一年ぐらい外に晒してからというのは、畜産堆肥と同じだ。
そもそも私たちが毎日の食事で使っている程度の塩分は土にとって大きな問題ではない。自動車もさびつくほどの潮風があたる海岸端でさえ、田や畑を耕しながら人びとの暮らしがつづいている。潮風によって田畑の土が壊れたと言う話はきかない。
東京農工大の瀬戸教授は、生ごみ堆肥に含まれている塩分を30年分投入した野菜の成育調査において、発芽、成育になんの問題も無かったという研究成果を発表した。教授は生ごみを堆肥にするための疎外要因はなにもないと結論づけている。
生ごみを燃やせば猛毒のダイオキシンが発生する。土から生まれたものを土にもどすことが循環型社会の基本である。そうはいっても人間社会は一筋縄ではいかない。当然のことを当然の状態にもどすことにおいてすら、さまざまなためらいがあるということか。
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2006.04.19:kakinotane
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