菅野芳秀のブログ

▼第23回 東京の人は大丈夫かい?05,10,18



我が家の家族は野菜が好きだ。80代後半になる両親、われわれ夫婦、それに一緒に農業している20代の息子も食事のたびに山盛りの野菜料理をせっせと口に運ぶ。今朝の食卓も野菜づくしだ。大きな器にだいこん葉やかぼちゃの煮物、春菊とくきたちのおひたしなどの野菜料理が盛られ、テーブルいっぱいに並ぶ(写真)。いつか、東京から来た友人が「毎日この量をスーパーから買い込んだとしたらすぐに家経費が底をついてしまうな。」と笑っていた。

しかし、こんな野菜好きのぼくでも、東京で食べる野菜を一度もうまいと思ったことがない。食堂に入っても、飲み屋に入ってもそう思う。出てくるもののほとんどが、ぺらぺらしていて味がなく、紙を食べているような感じなのだ。さらにいえば、野菜の中にパワーが感じられない。

東京で暮らしている人たちはいつもこんな野菜を食べているのだろうか。それとも、ぼくが行くところがそんなところなのか。その点はよく分からないが、もしこんなものをいつも食卓にあげているとしたら大変だ。子どもたちが野菜好きになるわけがないし、そもそも体がもたない。病気になってしまうだろう。それにしても、この野菜はいったい何なんだ。

なるほど、原因はこれか。そう気付くことがあった。まず、「食品成分表」に基づいて作成されたこの表を見てほしい(表参照)。

ビタミンAでみれば、1954年のピーマン一個が今の約10個分に匹敵するのだ。他のビタミンも全て半分か、1/3に減っている。この表にはないがミネラルもことごとく半分か1/3に減っている。この傾向はピーマンに限ったことではなく、全ての野菜にあてはまることだ。原因は何か。それは「土」の疲弊にある。

1954年まではほぼ堆肥だけで作物を作っていた。だが、60年代に入って軒並み、化学肥料と農薬を中心とした栽培方法に転換していく。これによって急激に土が変わり、作物の質が落ちて言った。紙を喰うような味気なさの原因は土の力の凋落にある。ぼくはそう確信した。

弱った土からは弱った作物が育つ。これは間違いない。その弱った作物を食べ続けることで生命力、免疫力が低下する。集中力も続かない。たぶんこれも間違いのないことだ。

大人達も心配だが、問題は子ども達だ。1/3や1/10になったからといって、今の子ども達に昔の3倍、10倍の野菜を食わせることは困難だ。脆弱な食材から身体を組み立てていくしかない。「アトピー」、「落ち着かない」、「すぐに切れる」などの子ども達の「症状」の背景には作物の質の低下があると思われる。大丈夫なのかい,東京の家族は。

我が家の作物は長年にわたって堆肥を投入した土で育っている。ニワトリたちのフンも一役かっている。そうしてできた1954年の野菜たちだ。うまさのもとはここにあった。

さて、だからといってあなたも農民になろうと呼びかけたりはしないぞ。やりたい人はやればいいが、もっと、違うやり方があるように思えるんだ。それは何かって?それはな・・・自分で考えなさい。


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2006.04.17:kakinotane

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