菅野芳秀のブログ
▼置賜自給圏ー農の現状から
1、置賜自給圏を知っていますか?
置賜自給圏。どこかで聞いたことがあるだろうか。それは米沢藩の上杉鷹山(1751〜1822年)の治世に学び、自給を基本とした当時の理想郷の再現を目指す地域づくりだ。それは食料、エネルギーの地域自給を基本とするが、閉鎖的な理想郷ではなく、外に門戸を開き、そこから新しい社会のあり方を示そうとする地域づくりでもある。
そんな理想郷を現在に甦らせようとしているのは置賜三市五町の住民だ。もちろん外の応援団も豊富だが、主体はあくまでも置賜に住み、置賜で暮らしている住民である。その住民を中心に社団法人「置賜自給圏推進機構」が設立されたのは昨年(2014年)8月2日のことだ。集まった人たちは200名。農民や農業団体、生協、教育関係者、森林組合、青果市場、旅館業、飲食業、行政、議員・・・と、「置賜の住民」と一口に言っても様々な人たちが集まっている。その人たちがいま、八つの部会に分かれ、具体的な行動計画づくりに取り組んでいる。
いまは、大きな時代の転換期だ。食も農業もエネルギーも・・大きな変化の中にある。そんな時代だからこそ、夢を決意に変え、行動に移すこと、踏み出すことが求められていると思うのだ。
かつて、深刻な財政破たんの中で、怯むことなく改革に立ち向かっていった鷹山公の姿を想像しながら、住民たちの取り組みは始まった。
自給圏の取り組みを食と農から言えば、当然のことながら農作物を地域外に売ることに反対しているわけではない。それは「外貨」を獲得するうえで必要なことだ。地域ごと自給自足のタコツボに入ろうと呼びかけているわけでもない。そうではなく、切りはなされていた地域の田畑と人々の暮らしとをもう一度しっかりとつなぎなおすことで、本来持っている地域の力、豊かさを取り戻し、それを全国に開いていこうということである。何でもかんでも外部に中心を置く仕組みに、便利だからと言って頼って行けば地域は貧しくなるばかりである。また地域づくりも、今までのような産業政策一辺倒ならば、グローバルな市場経済の浸透とともに地域の経済が衰弱し村の消滅が始まっていくだろう。村の崩壊は日本農業の再生基盤の崩壊につながり、やがて日本自身の崩壊へとつながっていくに違いない。
視点を変えよう!外部依存から自給の拡大へ。外から吸い上げられる経済から地域でまわす経済へ。都会化・工業化レース一辺倒から抜け出し、堂々たる田舎、品格ある地域への道を。博物館で埃をかぶっていた「理想」を再び日なたに出そう。誇りをもって地域に残る「学び」とともに、諦めかけていた地域に、もう一度理想と情熱を取り戻そう。
2、自給圏を食と農から見てみると
自給圏の柱を大きく分ければ「食と農」、「エネルギー」、「森と住宅」、「学び」の4つだ。ここでは主に「食と農」から見てみたい。
いま、地球全体を一つの市場ととらえ、国家の枠を超えて商品が自由に行き来し、競争する仕組みづくりがすすんでいる。その先端がTPPだ。工業はこの競争に打ち勝つために、より地代や労働力の安い国に生産の場を移すこともできるが、農業はそうはいかない。それぞれの国に根付いた産業として、その国の地形や気象条件の制約を受けながら生産を続けるしかない。いま日本農業は地球規模の大競争にまるごと投げ出されようとしている。それはすでに始まっている。地域の自然と歴史を背景に代々築きあげられてきた農業が、急速に崩れていこうとしている。
自給圏への背景・・・米作りの明日
今年の米価は途方もなく安い。多くの農家が作っている品種「はえぬき」で言えば一俵60kgあたりの仮渡し金で8,500円。一年後の「精算金」を含めても11,000円を超えることはないに違いない。(今から30年前のS59年、一俵あたりの農家の売渡価格は平均で18,668円だった。自主流通米では22,000円ぐらいだったと記憶している。)
一方、今年の2月に農水省は米の2012年産(H24年産)の生産費を発表した。その全国平均が1俵/60kgあたり15,957円。仮にその生産原価に含まれている36%分、5,744円の労働費をゼロにしたとしても、今年の販売価格には遠く及ばない。農家が一年間のタダ働きしたとしても追いつけない安値ということだ。大規模農家といえどもやっていける価格ではない。いや、大規模農家の方が最も大きな打撃を受ける。
ちなみに生産資材は一切値下がりしてはいない。下がっているのは農家の売り渡し価格だけ。このように販売価格が生産原価を下回るという異常な事態はすでに10年を超える。米作りは事業としては全く成立しない。
TPPの関税の自由化はこの傾向を更に増大させ、1俵60kgあたり6,000円代にまで米価を押し下げるだろうと言われている。これに対応できるところはない。日本農業の壊滅だろう。
政府は大規模化をはかり、1.8haの水田平均耕作面積を20〜30ha(山間部では10〜20ha)に変えていくと言っているが、たとえそうなったとしてもオーストラリアの3,000ha、アメリカの180haと競争などできるわけがない。価格ではとても太刀打ちできないだろう。
外国からの安いコメが入ってきても日本のコメは輸出すればいいという意見もないわけではない。しかし、これほど現実を見ない話はない。H24年度のコメの年間生産量は860万tだが、輸出量は3,380t。全体の0.039%でしかない。輸出が米作りの出口になるとは到底思えない。そしてこの論の本質は、日本国民はアメリカ産の安い米を食え。日本産の米は中国の富裕層に食ってもらえば経営が成り立つだろうという話だ。
そもそも高いとは言うけれど、ご飯いっぱいの値段がいくらにつくのかをご存知だろうか。白米にして70gだ。10s4000円のコメを買ったとしても28円にしかならない。2杯食べたって56円。コンビニに行けばペットボトル500mlの水は120円で売っている。この水よりも安い。この価格が「不当に高い!」と目くじらを立てて論じるほどのものなのだろうか?それほどの高さなのだろうか。もしこの価格を良しとして食べていただけるならば置賜の米作りと村は守られていくのだが。
さて、話をもどす。近年、環境と生態系に負荷をかけず、何よりも食の安心、安全を第一とする循環農業、有機農業への流れができてきたように見えたが、一転して農法は、農薬、化学肥料により傾斜したものにならざるをえないだろう。一層の省力化、コストの削減が求められるからだ。土からの収奪と土の使い捨て。未来の世代にはぼろぼろになった土しか渡せない。さらにそれは環境への負荷、生態系への打撃となるだろう。それでも生き残ることは難しいだろうが、そんな農業、そのような「国づくり」が進行していくのだ。それを政府は「新成長戦略」という。でも、それがどのような意味で「成長」なのだろうか。
農業、食糧生産をそのような「成長」路線から解き放ち、未来の世代を脅かすことのなく、いまある日本型農業を守り、土や海、森を始めとした、いのちの資源を基礎とする新しい人間社会のモデル、農業を基礎とした循環型社会を広く築き、それをアジアに、世界に示していくことこそが日本の進むべき道ではないかと思うのだ。置賜自給圏はそれを実現しようとする。
自給圏への背景・・・食の明日
長年、百姓してきてつくづく思うことは、「土はいのちのみなもと」ということだ。
作物は言うまでもなく土の産物であり、その育った場所の土の影響を全面的に受け、その汚れはそのまま作物の汚れにつながっていかざるを得ない。土の力の衰えは、作物を通して食べる者の生命力、免疫力に影響を与えていく。
〈表〉 食品成分表にみる野菜の栄養価の変化
(単位mg/100g)
野 菜 名 1954年 1991年 2000年
ビタミンC アスパラガス 30 12 15
ピーマン 200 80 76
白菜 40 22 19
カルシウム かぼちゃ 44 17 20
セリ 86 33 34
ほうれんそう 98 55 49
鉄 分 春菊 3.3 1.0 1.7
ニラ 2.1 0.6 0.7
枝豆 3.0 1.7 2.7
上の表は土に有機物を投入していた1954年ころの農作物と、化学農法になった現在の作物との間で、中に含まれる栄養価の比較を表しているものだ。
農の問題をコストや効率の問題、価格の安さをめぐる競争力の問題として語るならば、ますますケミカルに特化し、作物の持つ栄養価や質の問題はおろそかになっていかざるを得ない。そこに農業の希望があるのだろうか。
くどいようだが、農水省の調査によるとTPPに参加すれば、食料自給率が14%まで下がるという。86%は諸外国の作物だ。それらの作物を食べながらさまざまな国々の土の影響を受けることになる。その土は依存していいほどに安全かどうかは誰も知らない。汚染度合いも疲弊度合いもわからない。国民の健康で安心な暮らしが量的、質的に危機にさらされる。
土の健康は即、人間の健康に結びつく。食を問うなら土から問え。いのちを語るなら土から語れ。健康を願うなら土から正そう。生きて行くおおもとに土がある。自給圏の食と農の基礎はここだ。
自給圏の背景・・食の危険
下の文章はスイスに住む日本人からの転載だ。さもありなん。やっぱり食は国際市場にゆだねてはいけない。「置賜自給圏」の運動によけい拍車がかかる。以下、ご紹介しよう。
前の「たった今」からの数行と、うしろの「良かったら」からの数行はスイスの紹介者からの文章だ。
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たった今、ものすごくショッキングな記事を読みました。
驚きで、震えるほどです。 ちなみに、この記事のさらに元記事は、最初に違うドクターが研究発表したのを、Dr. Davisが"Wheat Belly(邦題:小麦は食べるな!)”を出版した後に知って書いたようですから、その本には盛り込めなかったみたいで、アメリカ内でも今頃ショッキングなニュースとして出回っているようです。
とにかく、内容をざっと訳して書きます。
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米国での小麦を収穫する際の基本手順は、収穫する日の数日前に除草剤であるラウンドアップ(主成分:グリフォサイト)を散布することです、そうすることで、早く、簡単に、より多くの収穫を得ることが出来ます。
これは、1980年にはもう行われ始めていたようで、それ以降ずっと、小麦の『乾燥剤』としての収穫前のラウンドアップの使用は、当然の手順として、1990年代後半には、有機小麦以外には全国的にされるようになりました。
小麦にグリフォサイトのような化学物質をかけると、実際には小麦の収穫量が上がるのです。小麦は、不思議なことに、しかも可哀想なことに、毒で死ぬ、というその直前に、青息吐息でより多くの種を放出するのです。
また小麦畑は、普通は不揃いに成熟します。それを、ラウンドアップをかけることによって、まだ畑の緑の部分を、無理やり収穫できるレベルまで成長を促進させるのです。
これは国からのお墨付きをもらっているわけではありませんが、農家は普通に『乾燥化』と呼んで行っています。 これを食べる消費者は、間違いなくラウンドアップの残留を口に入れています。
不思議なのは、ビールに使われる大麦麦芽はラウンドアップが散布されているなら、市場には出せません。豆類もそうです。それが、小麦はOKなのです。
この工程は、アメリカに限ったことではありません。イギリスでも、ラウンドアップを使ったあとの小麦で作ったパンに、グリフォサイト成分が毎回見つかっています。他のヨーロッパの国は、この危険性に気づいているので、例えばオランダではラウンドアップの使用は完全に禁止されています。フランスももうすぐそうなるようです。(日本は、残念ながら大半がアメリカからの輸入小麦です)
このように、ラウンドアップの使用は、小麦農家には農作業の手間を省き、より多くの収益をもたらすかもしれませんが、これを日々食べている消費者には致命的な健康被害をもたらします。
事実、ここ10年のシリアック病や小麦アレルギーの急激な増加は、この工程と無関係ではないだろうと思われます。[表A参照](日本へは、輸入時の船内で、この小麦にさらにポストハーベストがかけられますから、一体何重でしょうね 恐)
ラウンドアップは、腸の中の善玉菌の活動を著しく悪化させ、腸壁の透過性を激しくし(穴だらけ、つまりリーキーガット)、これが数々の自己免疫疾患の症状へとつながっていきます。(引用終わり)
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良かったら、これをあなたの家族やお友達にも教えてあげてください。 この事実は、拡散させるべきです。日本には、こんな情報はまず入ってこないし、例え入ってきたとしても、マスコミは絶対にこの手のことは語りませんから。
以上
このような食の危機はホンの一例でしかない。遺伝子組み換え食品、BSE、食品添加物、肉へのホルモン剤の投与・・などあげればきりがない。価格競争、効率性の競争は食をどんどんわけのわからないものに変えて行く。また、生産の場と消費の場に距離があればあるほど、責任感が薄れて行く。食材はいのちの糧ではなくなり、あくまでもお金のための手段となっていく。
本来、置賜の食の健康を守ることは、同じ置賜の農業の役割でなければならない。しかし、置賜の作物の多くは圏外に出荷され、圏内には外国産を含む外からやってくるもので満たされている。学校給食でも病院の院内食でも同じだ。置賜の中の食と農が背中合わせとなっている。この両者を結び付けることで、置賜をどこよりも健康で豊かな地域に変えることができるはずだ。地球規模で工業的農作物がまわる中、同じ地域の食と農がつながり、両者の健康な関係を築き治す。これは自給圏の大きな目的の一つだ。
自給圏への扉を開くために
置賜の住民、事業者、行政がともに連携して、置賜自給圏を築くためには、かつての保守だ、革新だ、あるいは〇〇党だというような政治的な枠組みにとらわれてはいけない。単なる同好会のような同じ色合いを持つ者同士が集まって、何かをしようとしてもこの構想は実現できないのだから。それぞれ異なった考え、異なった価値、異なった生き方をしてきたものたちが、相互の違いを認めあい、尊重しながらつくり上げられていく連携。この中から「自給圏」が生み出されていく。また、自給圏の取り組みは、住民と関係団体、行政が相互に連携する協働事業として育てて行かなければならない。
希望はどこかで我々がやってくるのを待っていてくれるということはない。希望はだれかが与えてくれるものでもない。それは自分たちで創りだすものであって、それ以外の希望はけっしてやっては来ない。
2015.02.12:kakinotane
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