菅野芳秀のブログ

▼TPP以前の話として

 
 寺山修司の脚本の中にこんな一節がある。ちょっと長いが引用する。

「中学校の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん大きくなって、出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ、コカコーラの瓶の中のトカゲ。おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後略)」

コカコーラはアメリカで、蜥蜴は日本だ。その一節はやがて有名な「身を捨てるに値すべきか、祖国よ。」と続くのだが、TPPに関する菅内閣の姿勢を見ていると思わずこの文言を思い出す。

 私が農民だからといって、TPPやこの国のことを農民の視点からのみ見ているわけではない。日本列島に住む一人の生活者として、また、今と未来に責任を負う1億2千万人分の一人としても見ようとする。たぶん、多くの人はそうだと思うけどね。母親だったり、父親だったりとか。そして、そのどこから見てもTPPへの道は危険だ。けっして大げさでなく、この国が危ない。そう思う。

 そもそもこのTPPはどこからやってきたのか。菅総理が初めて口にしたのは昨年10月1日の衆議院所信演説だ。そのときには、まだ野党はおろか、肝心の民主党の国会議員すらほとんど知らなかったという。それから半年たった。これまでいったいどれだけの議論を重ねてきたのか。この国の形を変えるほどの大きな衝撃をともなったこのTPPについて、何ほどの議論も尽くされていないように思える。国民の多くはほとんど知らない。にもかかわらず、この6月にも方向を決めようとしている。TPPへの参加の可否をめぐって、国会を解散し民意を問う。最低必要なことではないのか。ことの重大性にもかかわらず今のまま、たいして議論も交わされることなく、性急に事が決められていくとすれば未来に申し開きがたたない。

 マスコミもTPPのプラスとマイナスの両面を国民の前に明らかにし、その判断を見守ろうとしてきただろうか。やってきたことは誰でもが知っているように、ただ「バスに乗り遅れるな」とばかりに危機感をあおりながら「TPP参加」という自分たちの結論を国民に押し付けようとしてきただけだった。ジャーナリズムの基本的な役割を放棄している。メディアの多様化と読者、視聴者ばなれ、それに広告収入の減少が重なって経済団体の主張に「YES」といわざるを得なくなっているのではないのか。だとするならばジャーナリズムの自殺行為だ。

 最近になって、インターネットや研究者の警鐘をうながす文章などでようやくTPPの中身を知ることができるようになってきた。そして、知れば知るほど、TPPの主題は、言われているように「農業」対「輸出企業」、そのどちらが未来の日本により幸せをもたらすかということではなく、日本とアメリカの関係にかかわること。日本を51番目の州として米国に差し出すのか、それとも独立した国として、日本の今と未来を守って行くのか。そこにあると思えてくる。
 充分に情報を開示し、時間をかけて話し合ったうえで、なお51番目の道を行こうとするならばそれもいいだろう。所詮、日本はそれまでの国だったということだ。

トカゲにビンを割れるのかって?当たり前だ。割れる。
草をかじってでも割らなければならない。

そういうことだ。

 2月26日、13;00〜明治大学神田校舎
「あたりまえに生きたいマチでもムラでもーTPPに反対する人々の運動」
 お待ちしています。


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