菅野芳秀のブログ

▼雪が消えて

 雪が溶けて土が久しぶりに顔をだした。
草の生い茂る季節はもうすぐだ。
ニワトリたちにとって、大地の上で思い切り遊べる春がやってくる。雪に閉じ込められた長い冬ともおさらばだ。鶏舎の外にでて、草地いっぱいに広がって伸びやかに遊ぶ。土をつっついたり、虫を追いかけたり、草をついばんだり、駆けっこをしたりの楽しい毎日がはじまる。そんな姿を見るために子どもや孫をつれた人たちがやってくる。道を通る人も立ち止まって見ていく。時には車でやってくる人たちもいる。こんな光景ももうすぐだ。

さぁ、フェンスをまわそう。

ある日、作業をしている私のところに、建ちゃんが声をかけてきた。
「こんなフェンスで、よく逃げていかないなぁ。」
えっ、逃げるって?なぜ?
そう、なぜ?なのだ。こちら側がつらくて、不幸で、あちら側が楽しくて、幸せで・・・。こんな場合はこっちからあっちに逃げていきたくもなるだろう。だけどな、こっちにおいしい食事があって、楽しくて、幸せでというならば逃げ出す必要がないではないか。
「逃げ出すなんてないよ。ただ野菜畑に侵入しないようにと思ってな。」

 さて、日本人とニワトリのことは「神話」の中にも、岩戸の中に隠れたアマテラスを呼び出すためにオンドリを一斉に鳴かそうとした話として出てくるから、ずいぶん古い話だ。たぶんその時代にもあっちこっちにニワトリたちがいたのだろう。
 それからずいぶん時はたって、とは言ってもオレが小さかったころのことだが、やっぱり村の家々ではニワトリを飼っていて、庭で遊ぶのんびりとした光景を見ることができた。こんな風にニワトリとの関係はずいぶん長くから続けてきており、かつ、その関係もそう悪くはなかった。ニワトリたちは逃げることなど考えなかっただろうと思う。

 やがて、経済効率や生産性という考え方が入ってきたことで、この関係は一変する。ゲージに閉じ込めてニワトリを飼うようになった。両者の関係は歴史上、最悪だろうと思われる。

 おそらくゲージの中のニワトリたちは、機会があれば一目散に逃げていこうとするだろうな。歩くことができない、羽を広げることもできない。風を感じることも、お日様にあたることもない毎日。ただただ卵を搾り取られるだけ。これほどの不幸は、他のどこへいってもないのだから。たとえ、途中でキツネかタヌキに襲われて、そこでいのちが終わることになったとしても、けっして「しまった。」とは思はないだろう。それでもゲージの中にとどまるよりはずっとましだと思うはずだ。

 逃げよう!もう人間には金輪際近づくな。野生にかえろう。

 もう一度、いい関係を取り戻そうよ。何がどうでもいいことで、何が大切なことなのかを暮らしの中から考えてみようじゃないか。ニワトリを通して、何かきっと、俺たちが失ってしまった大切なものが見えてくると思うよ。変わってしまったのは俺たちの方なのだから。

  (写真は、雪の消えた大地の上を、オンドリを先頭に散歩するニワトリたち)


画像 ( )
2010.04.08:kakinotane
[2010.04.16]
正直に伝えます! (山さくら)
[2010.04.15]
葉桜になりつつです! (山さくら)
[2010.04.14]
春ですね。 (菅野芳秀)
[2010.04.14]
種モミの生育 (くみ)
[2010.04.10]
菅野さん、「農協」 (tu-ta)
[2010.04.10]
なるほど (菅野芳秀)
[2010.04.09]
ときどき不安になるのは (tu-ta)
[2010.04.09]
また一番 (くみ)

HOME

(C)kakinotane

powered by samidare