菅野芳秀のブログ

▼米袋につけた手紙

お待たせしました。ようやく申告作業にメドがたちました。ブログの再開です。これまでの間、コメントでつないでいただいた皆さん、ありがとうございました。
留守の間もたくさんの出来事がありましたよ。まず何から書こうかとかんがえましたら、やっぱりこれですね。米袋。出荷に使用する5kgの袋は、全て既存の袋を買い求めたり、白鷹町の精米センターのものを使わせてもらったりしていましたが、今月から自分達でデザインしたオリジナルな袋に変えました。そのお米に添えた文章です。

☀☀今月から米袋がオリジナルなものに変わりました。
「土、いのち、循環のもとに・・菅野農園」
はじめて「菅野農園」としました。今までは菅野芳秀の名前で出荷していましたが、それでは息子が隠れてしまいます。そこで今回の袋をきっかけに、積極的に「菅野農園」を表にだし、代表者を菅野春平としました。今年で28歳になります。私は60歳になりましたから時期としても丁度いいかなと。
 実際のところ、田んぼにしても、ニワトリにしても息子が中心の労働になっています。もちろん、私もまだまだ現役の百姓。75歳ぐらいまではせっせと田んぼに通いますよ。その点では同じなのですが、「今度はオレが背負うことになる。」という息子の自覚がね。違うものになるのだと思います。

☃☃「3ヘクタールの水田と1,000羽の自然養鶏」。これが菅野農園の現在の内容です。田畑の副産物をニワトリに。ニワトリの副産物を田畑に。これらの循環を大切にして、農薬、化学肥料は極力使用しない。土は世代を超えたいのちの資源。土を大切にしつつ、できたお米や玉子はメッセージを添えて直接消費者に。これが菅野農園の基本です。これからどのような経営になっていくのかは息子しだいですが、この基本は変わらないと思います。

「とき(時)が来る。とき(佐渡の朱鷺)になる。」これは私の造語です。農の時代がやってくる。でもそこには農民はいない。農民は佐渡島の朱鷺のようになっていく。以前、そんな時代を予感して言葉にしたのですが、残念ながら時代はそのようにすすんでいます。農や食を考えるシンポジュウムなどに出てみても、そこに農民の姿を見ることは本当に少なくなりました。日本はどこに行くのでしょう。そんな時代のなかで、農民として生きて行くを選択した息子。「菅野農園」のこれから。どうぞお見守りください。

☃☃まだまだ雪の世界です。
南の方からウグイスの便りが聞こえてきます。もう梅の花は散ったと和歌山の友達は教えてくれました。ですが、我が村はまだまだ雪のなかです。そうですねぇ。田んぼには50cmほどはあるでしょうか。屋根の雪が落ちたところには150cmぐらいの雪の小山が。山々にはどんな花も咲いていません。まだ冬山です。 それでも暖かくなっていますね。山々では雪崩が始まりました。春はそこまで来ています。種の芽だしが始まります。

(写真はダブルクリックで大きくなります。)


画像 ( )
2010.03.08:kakinotane
[2010.04.17]
ツバメ? (山さくら)
[2010.04.03]
えっ? (菅野芳秀)
[2010.04.03]
しわ一本数百ユーロって、気持ち! (山さくら)
[2010.04.01]
南国の春!桜吹雪の季節 (種子原人)
[2010.03.29]
なんだかいまさら気恥かしいのでやめときます。 (くみ)
[2010.03.25]
あれあれ・・? (菅野芳秀)
[2010.03.24]
恐れ入ります。 (くみ)
[2010.03.21]
くみさんへ! (山さくら)
[2010.03.21]
暖かい土地はなんて素晴らしい! (くみ)
[2010.03.21]
種子原人さんへ! (山さくら)
[2010.03.20]
春の突風! (種子原人)
[2010.03.20]
白い世界! (山さくら)
[2010.03.15]
野菜の苗作りと間引き (くみ)
[2010.03.13]
菅野さんは有名すぎる。 (くみ)
[2010.03.12]
オレでなく? (菅野芳秀)
[2010.03.12]
菅野さん、息子さんをここへ!応募締めきりは3月15日(月)正午です。 (くみ)
[2010.03.12]
11日は居酒屋で (tu-ta)
[2010.03.11]
雪がないな (菅野芳秀)
[2010.03.11]
管野農園オリジナルのお米の袋、温かいですね! (山さくら)
[2010.03.10]
恥ずかしいので削除 (くみ)
[2010.03.10]
お米の苗作り (菅野芳秀)
[2010.03.09]
くみさん (yuri)
[2010.03.09]
写真を見せて (くみ)

HOME

(C)kakinotane

powered by samidare