菅野芳秀のブログ

▼ある日の話から


寒いですねぇ。
今日(1月15日)の最高温度が氷点下ですよ。一日中吹雪でした。
さて、あるところで話しをする機会があり、そのテープを起こしたものが送られてきたんですね。あんたの話だ。要約の添削、校正をやってくれと。
 どんなところで話したのかといいますと、それが・・改良普及所の職員とか、農水省統計事務所の人たちとか・・農家とか。昔のことでいえば社会党支持の農業関係の人たちでした。
 いつになく堅い話ですが・・まぁ、いいじゃないですか。お酒でも飲みながらお付き合いください。

(写真は今の我が村。後ろは朝日連峰です。ダブルクリックしてみてください。)
 

 農の現場から−大いに議論し、我々の到達点を対案に!
              −レインボープランの経験からー   菅野芳秀 

【はじめに】

 山形県長井市で、水田2.6haと自然養鶏といって、鶏をゲージではなく自然に近い状態で放し飼いにし、水田とニワトリとの循環農業をやっています。長井市は米沢盆地の穀倉地帯の中にあります。約3000ha
の農地があり、その9割が水田です。私のいる村落は、44戸でほとんどが農業に携わっています。

【高齢化と米価格の低迷のなかで】

会合などで公民館に集まると、かつては30代、40代が一線で頑張っていましたが、今はそのまま60代、70代です。

村の農民の平均年齢は67歳。全国的にみても同じくらい。農業に携わる者が一番多いのは70〜74歳だそうです。

山形県の主要作物は米。それは風景をみればわかります。その人たちが第一線で米を作れるのはあと10年もない。80代になったら自分の作物は作れても、他人のものまで作れない。

2006年に東北農政局が発表した米の生産費は15,052円です。私どものところで農家が農協に売り渡す価格は12,000円ちょっとです。農水省が発表した生産原価よりさらに3,000円ほど下回っています。米作にかかるコストを考えれば、つくらないほうがいい。

農水省の統計によると、水田農家の平均時給は179円だそうです。こんなことで暮らしが立つわけがない。後継者が消え、高齢化はますます進むだろう。

すでに日本の農業は、後戻りできない、修復不可能な領域に入ってしまったとさえ思えます。農業の危機といいますが、危機なんてもんじゃありません。ガラガラという崩壊の音が聞こえてくるようです。

「ときが来る。トキになる」という言葉は私の造語です。食、農、いのち、循環の時代がやってくる。だけど俺達百姓は佐渡の「朱鷺」になっちゃうよと。
やがて農の時代が来るでしょう。しかし、そこには農家はいない。農民はいない。農の時代は来るが農家と農民の時代は来ない、そういう未来を描かざるを得ません。

【難局には「対案」を持って参加する】

ですが、そんな中でも私たちに何が必要かと言えば、依然として「対案」、断乎として「対案」だと思います。。「愚痴じゃなく対案を」。今のようでないもうひとつのあり方を農業の現場から示すことです。

よく柿の種の話をします。こんな話です。12月頃になると、熟した柿がぽとぽと落ちる。カラスが留まっては落ち、風が吹けば落ちます。この落ちそうな柿に尋ねてみます。「今の心境を教えてほしい」と。柿は、「危機だ。俺たちには未来がない、落ちて破裂して終わりだ。」と言うでしょう。
柿が予想したように、やがて落ち、柿の実の物語は終わります。だけど、今度は柿の種に聞いてみます。種は「これから俺たちの時代が始まる。希望が近づいている」と言うに違いがありません。

つまり、同じ柿の中に同時に進行する二つの物語があります。実の立場から嘆くのか、それとも種の立場に立ってこの局面に参加するのか・・・この違いは大きい。柿の種の立場からこの難局に参加する。「対案」を持って参加することが、私たちに求められている。そう思います。

NHKの大河ドラマの「篤姫」の中に、難局に「対案」を持って参加しようとした田舎侍たちが出てきます。そういう先人を範として、この局面に参加すること。いま方向性を失っている人たちをこれ以上批判しても始まらない。それとは別の文脈で、それ以上の情熱とエネルギーをもって柿の種、希望の芽を育てていかなければならないと思うのです。今までの取組みの中で育んできた世界観の中味が、実践的に試されているのだと思います。末席ながら農民運動に参加してきたものとして切実にそう思います。

【対案への条件】

さて、これからご紹介いたしますのは、山形県長井市で地域を上げて取り組んでいるまちづくり、生ゴミと健康な農作物が地域のなかで循環する地域づくりにかかわる話です。レインボープランという名の、その事業の立ち上げにはたくさんの人たちがかかわりました。私もその中の一人でした。私は農民として、レインボープランの中に、地域と農業の未来を築き上げようという、自前の「対案」を重ねていました。20年前のことです。
 1989年頃、GATTの話が出たあたりから、今の農業の状況は予見できました。その時に私は「対案」の必要性考え、その中味と建設の条件について考えていました。GATTを反映した政府の農作物貿易自由化政策に反対しているだけでは、ただジリ貧になっていくだけであって、重要なのは反対を通して何を実現していくのか、何を育んで行くのかだ、と。

「対案」として成立するためには、時代的な条件があります。私は7つの枠組みを考えていました。この7つを重ねた向こう側に見える岸辺が、私たちが到達すべき世界であると。

今は時代的転換期。開発と右肩上がりの発展史観に支えられた、目先の経済効率を第一とする社会から生命系の循環と持続性を第一とする社会への大きな移行期。「対案」はそれを内包したものでなければならない。

1つ目は生命系の原理に立つ農業の確立。
2つ目は多様な人たちが自分らしく生きていく村社会・地域社会を築くこと。

最初、私たちは生命系の原理に立ちながら、循環型の農業をやっていくのだ。食のみならず、環境の点でも人類的課題の求める方向で力を発揮していかねばならないのだと強調していました。ところが女性たちから「農法の問題だけを強調しても仕方がない。それを誰と築いていくのか。今までの男中心のあり方を変えなければ、女性は寄り付かない」との指摘を受けました。

確かに農法の問題とそれをつくっていく人の問題は別々の問題ではない。私たちは農業を通じて、お互いの違いを認め合い、両性が幸せになっていく道を築かなければならない。障害者、外国人を含め、社会的マイノリティとともにその道を築いていくことが大事だ。

3つ目には地域の自立と自給です。当時、先に述べたように、GATTという形で、巨大アグリビジネスによる農作物の世界市場支配が始まっていました。それを受けて、当時の私は、近隣の農民仲間とともに、“まず「国家自給」があるのではなく、その前に「地域自給」を。地域自給圏のモザイク的集合体としての日本列島の自給を、というのが順序だ。よって「地域農業と地域社会」の結合を。その視点に立って、大都会に一元的につながれてきた生産地と消費地の関係の転換を。地域の自給をまず実現し、その「余ったもの」を大都会へ”と主張していました。それらを織り込んだ「地域の自立と自給」。これが3つ目の条件です。

4つ目には民主主義。5つ目には地球的視点。6つ目には異文化との交流。7つ目には開かれた家族農業を基本とするということでした。

4,5,6の説明は省くとして、7番目のことに関しては、GATTからWTOへと至る中で、アグリビジネスに対抗できる勢力は、世界的にみても家族農業だろう。家族農業といって も社会に開かれた家族農業、暮らしと共にある農業と言う意味合いでした。

【快里(いいまち)デザイン研究所】

 田植えをしながら・・草刈をしながら・・いつも頭の中は「対案」をどう実行に移せるか・・。このことばっかり考えていました。世間にむけて、あーだ、こーだと理屈を言ってまわってみても、同じような人間がこじんまりと集まるだけ。そんなスケールでは何にもかわりません。どうすればいいか・・・何を架け橋にして・・・。あるとき「これだ!」とひらめくものがありました。生ゴミです。同じ市内のまちの消費者の一軒一軒の台所から出る生ゴミを分別収集し、堆肥原料とする。その堆肥を活用して作られた作物をまちの台所に戻す。生産者も消費者も農と食に参加する地域ぐるみの取り組み(やがてこの構想はレインボープランと名づけられます)。これによって・・・もしかしたら・・農業が変わる、地域が変わる。もっといえば、WTO(当時はGATT)下の、地域から始まる数少ない防衛策の一つとなるのかもしれない。

 そんなある日、思わぬ声がかかります。1988年に長井市の企画課が、市民に住みたくなるまちを自由に構想してもらおうと、「まちづくりデザイン会議」が設立されました。1990年にはその構想を更に発展させようと「快里(いいまち)デザイン研究所」がつくられました。私にもその研究所の一員として参加するよう要請があったのです。

 「デザイン会議」の農業部会の提言の中に「土が弱っている。土作りをしたくても家畜がいない。堆肥原料がない。」という生産者の声がありました。他方、消費者からは「地元の作物を食べたいが、どこにも売っていない。スーパーにあるのは遠隔地のものばかりだ。同じものが長井にあるはずなのに、海外のものも並んでいる。」という声がありました。田舎の市場にも海外の作物が侵入してきている。農家が国家自給率の少なさを嘆く前に、しなければならないことがここにある。

【深刻な土の弱り】

一方、農家の声として出された土の弱りの問題は深刻です。
ここに「食品成分表」の1954年の2訂から2000年の5訂までの、野菜のもつ成分の移り変わりをピーマンで比較した表があります。この表を見ると、食べられる部分100g中に含まれるビタミンAの成分値は1954年には600単位あったものが、2000年には33単位になっています。おそらく見た目は同じみずみずしいピーマンだと思うのですが、ビタミンAをピーマンから取る限り、18個食べなければ昔の1個にならない。更にビタミンB1は3分の1に、B2は半分以下に、ビタミンCは3分の1になっている。同様に、カルシウム、リン、鉄、ナトリウムなどのミネラルについても、その含有率は大きく低下しています。これはピーマンだけに限りません。ほとんど全ての野菜にいえることです。

どうしてこんなことになったのか。それは土の弱りと関係します。いうまでもなく、1954年頃は堆肥で作物を作っていました。1961年の農業基本法以降、機械化、化学化、単作化が推進され、化学肥料や農薬に頼る農業に変わっていきました。そして土がどんどん弱り、それに合わせて作物の持つ栄養分、おそらく生命力も弱っていったのだと思います。

よく子どもたちがキレやすいとか、粘り強さがないとか、授業中落ち着きがないとか言われ、その原因を家庭教育のせいにする話を聞きます。でも、多くは食べものの問題だろうと思っています。子どもたちはその成長期において、栄養分が1/2,1/3と低下した作物を食べ、自分の身体を作らざるを得ない。こんな食べ物で健康な身体になれるだろうか。どっしりとした精神が育つだろうか。キレやすい子どもの背景には、弱った土と養分の低下した作物の関係があるように思います。

この問題は土に有機物を投入し、土を肥やすことで解決しますが、最小コストで最大利益を上げようとする市場経済の下では難しい。市場ではなく、生産者と消費者との新しい関係のなかで、課題が共有され、解決への道が始まるだろうと思います。それはレインボープランの課題となっていきました。

【実現への一歩】

まちづくりデザイン会議の会議録には、生産者から堆肥の原料を、消費者からは地元の作物を・・という声があがっていました。「快里デザイン研究所」に参加した私はそれを受けて、生ゴミを活用する構想を提案しました。消費者が有機肥料・堆肥の原料としての生ゴミを分別収集し、農民の土作りを支え、農家がその堆肥を活用し、できた作物をまちに送ることで台所の健康な食生活を支える。あわせて地域自給を高めていく。今風に言えば、農業を基礎とする循環型社会。この構想は他の所員から肯定的に迎えられ、「レインボープラン」と名づけられました。もし、実現すれば、生ゴミを媒体として、さまざまな新しいつながりを築いていくことができる。生ゴミはあくまでも架け橋。その活用を通して、まちとむら、生産と消費、農業と台所、今と未来が新たに出会うだろう、そこからまた何かが生れていく。
「対案」実現への可能性が出てきた。ここから、デザイン研究所の仲間達とともに、実現への歩みが始まります。

【道が拓かれて・・】

 デザイン会議の仲間達とであい、私の荒削りな構想が、更にきめ細かいものに仕上げられていきました。そしていよいよ実現への働きかけが始まりました。市民、商工会議所や病院・・地域を支える中核的団体、行政、農協へと働きかけていく。
 必要な全ての人、団体、機関の参加を獲得し、市民を事務局とするレインボープラン推進委員会ができたのは1991年。堆肥センターが立ち、事業が実行に移されたのが1997年。ここまでの話の中に、血沸き、肉踊る話や涙をさそう話がたくさんありますが・・止めておきましょう。以来、レインボープラン推進協議会のもと、市民と行政がイコールの立場で話し合いを重ね、少しずつ修正を加えながら今日に至っています。

【レインボープランとそのいくつかの成果】

 長井市の人口は約3万人。世帯数は約9千。まちの中に5千世帯、周辺部に4千世帯。レインボープランは、まちの中の5千世帯から出る生ゴミ(年間1千トンほど)を堆肥の原料として集め、籾殻と畜糞を加えて発酵させ、堆肥を作る。それを農家が活用し、農薬、化学肥料を制限して米や野菜を作り、できた作物を町の台所に運ぶ。まちの消費者は堆肥の生産者。村の生産者は堆肥の消費者。それぞれが生産と消費を分かち合い、地域社会と地域農業が循環的関係の中で結ばれていく。この地域ぐるみの事業は、農業政策であり、環境政策であり、食料政策であり、住民自治を高めていこうとする地域政策でもある。行政の縦割りではくくれない、各課横断の、生活者の政策だということでしょう。もちろん、まだまだ課題が多く、発展途上ではありますが・・。

7つの「対案」の視点から見て、どこまで歩んで来たのかを考えれば、まだまだ未熟です。課題としてあげられてきた経済的成果もまだまだです。しかし、いくつかの重要な成果を残しています。

レインボープランをすすめているのはレインボープラン推進協議会。50名ほどの市民が五つの委員会に分かれて、事業の推進に智恵と汗を提供しています。ここでは市民と行政が同じ地域の生活者として、イコールの形で協議し、決定を分かち合っています。行政主導ではありません。(住民自治・民主主義)

稼動して12年目にあたる今年、まちの台所の生ゴミはほぼ全量堆肥の原料となっています。市民は生ゴミの分別が堆肥づくりであることを知っています。その意味で市民の台所と地域農業がより近くなりました。(生命系の原理)

レインボープラン作物は、三つのルートでまちの中に戻ります。一つはNPO市民市場「虹の駅」やスーパーのレインボープランコーナーなどを通して。二つは学校給食。三千名ほどの子どもたちの学校給食は米飯給食ですが、お米はレインボープランです。旬の作物も活用されます。三つめは食品加工品。レインボープラン豆腐や納豆、味噌、饅頭、酒、クッキー、蕎麦、ラーメンなど。みんな長井でとれた農作物を原料としています。このように地場の農業と地場の食品加工業が生ゴミを通してつながっていきました。(地域の自立と自給)

堆肥の量に限りがありますが、レインボープランは長井市の環境保全型農業にも大きな一石を投じています。レインボープランはもとよりゴミ対策が主ではありませんが、生活系可燃ごみが30数%減りました。(生命系の原理)

この事業の中から2つのNPOが生まれました。先にあげた「レインボープラン市民市場・虹の駅」。「虹の駅」はレインボープラン作物の直売所機能をもちますが、市民理事のほか、20名ほどの消費者・市民が運営に参加しています。もう1つのNPOは、農家と40人ほどの消費者が参加して運営されている「レインボープラン市民農場」。50aほどのハウスと露地を使ってさまざまなレインボープラン野菜を栽培しています。(地域の自立と自給・開かれた家族農業)

子ども達への格好の地域学習の教材を提供しています。長井市の子ども達は、学校の授業でレインボープランを学んでいます。(地域の自立と自給)


【全国、海外・・タイへの波及】

レインボープランには今でも全国から多くの視察者がまいります。海外にも波及しています。たとえばタイ。タイ東北部の二つの町で、生ゴミと健康な野菜が地域のなかで循環する、それもレインボープランという名前の事業が稼動しています。

タイは農作物の輸出国です。キャッサバやサトウキビ、米、ジュートなどで農地が占められています。それらが好調なうちはいいけれど、世界不況の中で輸出価格が下がると、にわかに生活が厳しくなり地域経済は混乱する。つまりグローバルな市場経済の中で、タイの農民も翻弄されています。その様な状況から脱却すべく、輸出のための農業ではなく、暮らしのための農業、生きるための農業を求め、農民と消費者が連携し、世界市場から切り離された生活圏の自立・自給を目指す動きが始まっています。タイの農民たちもまた新しい方向を目指そうとしています。

タイと日本。輸出国と輸入国の違いはあっても市場経済に翻弄されている地域と地域が、相互に交流し合い、生活圏の自立と自給を目指す、新しい国際交流が生まれています。(地球的視点、異文化との交流)

【風前にともし火を】

およそ20年間、この危機を時代の転換期ゆえの危機と捉え、「対案」をもって時代に参加しようと考え、歩んできました。しかし、WTO交渉の進行する局面でどうなのか、長井やタイのレインボープランも、各地のさまざまな「対案」も、嵐の中の小船のように、大波にもみくちゃとなることは避けられないでしょう。それでもなお、くどいようですが、私たちは「対案」をかざして、この難局に参加していくことが求められています。もともと平穏無事な成長などはありえません。私たちが蓄積してきた世界観の中味が問われています。

今は時代の転換期。
風前にともし火を!
新しい希望を作り出す柿の種に!!

皆さん、ともにやっていきましょう。

画像 ( )
2009.01.15:kakinotane
[2009.01.24]
歳は一つずつ平等に取っているんですけどね! (山さくら)
[2009.01.23]
話してきましたよ。 (菅野芳秀)
[2009.01.20]
ちょっとションボリで、空飛ぶニワトリ開けたくなかったんですけどね。 (山さくら)
[2009.01.20]
農村再生・帰納法的展開! (種子原人)
[2009.01.19]
綿谷さん;で、書き忘れました。だめですねぇ。 (菅野芳秀)
[2009.01.19]
初アクセス! (綿谷亜希)
[2009.01.19]
おつかれさま (菅野芳秀)
[2009.01.19]
レンガの壁がそこに・・・チャンスを与えている。うまい事考えますね。 (山さくら)
[2009.01.19]
読ませていただいてよかった。 (くみ)
[2009.01.17]
お酒飲みながらは、読めんけどね! (山さくら)
[2009.01.17]
テープ起こし (文庫 番)
[2009.01.16]
長すぎたかな・・ (菅野芳秀)
[2009.01.16]
丁寧に読んでない、私の感想です。申し訳ないです。 (山さくら)

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