菅野芳秀のブログ

▼草木塔をたずねてきた

 白鷹町に草木塔を見に行ってきた。それは森のそばの農家の庭先にあった。高さは約60cmぐらいか。自然石に「草木塔」と刻まれている。うかがえば江戸の後期、米沢藩から森林の管理と木材の切り出しをおおせつかった先祖が建てたものだという。

 亡くなるとき「たくさんの草や木のいのちを奪ってきた。供養と鎮魂の碑を建ててほしい。」と願っていったという。塔はその子孫が建立した。今、森の切り出しはやっていない。だけど毎年、お供え物を添えてその碑を祀り続けてきた。

 当時の人たちにとって森の木々にいのちを感じながら、それらを伐採し続けた日々はきっと気持ちのいいものではなかったに違いない。寝覚めだって悪かっただろう。「亡くなるときには、草木の化け物が・・・というようなこともいっていたそうだ」と守ってきたその子孫の人が話してくれた。分かるような気がする。

 オレですら庭の木を伐採しなければならなくなったときには、やっぱり手を合わせてから作業に入るもの。そういえば娘が小学生のころ、道路拡張で庭の桜の木が切り倒される前日、B5の用紙に「追悼」と書いて泣きながら手を合わせていたっけ。こんな気持ちの有りようは珍しいことではない。植物と一緒に暮らす田舎では生まれやすい感情だろう。

 さて、話は変わるが、今年の春の田んぼ。本来緑であるべき畦の草が除草剤によって赤く枯れあがり、緑の中の赤い帯が縦に横に伸びていた。そんな畦は、我が家の前に広がる水田のおよそ1/3ほどになっていただろうか。草は畦を雨や陽射しから守っている。このことは誰よりも当の農民がよく知っている。だが、忍び寄る高齢化か、日々の忙しさか、おそらくその両方なのかもしれない。痛々しい風景だった。

 そこには草への感謝がない。謝罪がない。崩壊しつつある日本の農業。その再生には「草木塔」の心は不可欠だと思えるのだが・・・。こんなことをしていたら本当に草や木の魂が化けて出るかもしれない。
 

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