菅野芳秀のブログ
▼第4回・ニワトリたちの断食(04,12,22)
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その屋根を支えている柱は、大丈夫なのかしらってね。 昔っていつ頃のことなのですか? 瓦(さんがわら)を、セメントみたいなので飛ばないように張り付けている屋根とか、所々に石を乗せているのは見たことありましたけどね。(沖縄の屋根とかね) 種子原人さんへ この屋根、凄いな〜。 大きいままの写真で私はメチャクチャ嬉しいです。 写真戴きたいのですが、よろしいでしょうか? 〜〜〜〜〜コメントご無沙汰の言い訳〜〜〜〜〜 実は、義父(94歳)の24時間付添い(22日間)で、病院に縛り付けられていました。 義父が退院した4日後に叔父(義父の弟78歳)が急に亡くなりお葬式。 次男の嫁も入院。・・・続いてお盆。 9月、台風12号の警報が出ている中(四国香川県は台風12号の目の中に入っていたんです)猛特訓して戴いて、4日(薙刀の昇段試験)審査を受けました。 7月14日から、今まで、私には自由な時間がありませんでした。 これって私の人権は無視されているよな〜って思いながら頑張りました。 近所では、まだまだ家族(嫁)が看るのが当たり前なんです。 日本全国同じかな・・・? 看なければ、非情な嫁やって思われるよな。ほんで言われるよな〜。 でも、この状態がいつまで続くかわからないって思った時、どっと疲れが出ました。もう病院はイヤだよ〜ってね。 それを支えてくれたのは、親戚の人たちと、同じように長期間付き添っている先輩方の体験談や励ましの言葉かけでした。 みんな頑張っているんや! 私もここで投げ出すわけにはイカンのよな。だって代わりが誰も居ないんだからね。 今回は、肺炎だったので22日間で退院できました。今回の事で、私に義父母を看取ることができるんやろかって、大きな不安が広がっています。 「まあ、私にできる事しかできんし、やれるところまで頑張ります」やわな!
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