菅野芳秀のブログ
▼東京に住んでいるとそういう感覚になる。のかも
。。。。地方を利用しようとするな。地方は都会に奉仕する家来ではない。。。。。。。。
全く同感ですね。ただ、東京に住んでいると、そういう感覚になる・・・のかもと感じます。何でも東京に集まってくる。東京は大消費地だし、東京は経済も政治もみんな中心だから。
じゃあ、ドイツでは、フランクフルトやベルリンで、そんな風に考えるかと言うとたぶん多くの人がそんな風には感じていないのではないかと、私は感じます。
私の住む高々23000人ぐらいの郡で、結構何でも用事が足りている。。。。フランクフルトまで出かけないと、ベルリンまで行かないといけない人たちはたぶんいるんでしょうけど、1極集中型とかけ離れたドイツの社会は、それぞれの場所で、それぞれが、そこそこ自立しているんではないかと一般市民である私は感じます。
州ごとに学校の休みも、祝祭日も結構違ったりする、人と自分は違うのが当たり前の社会だからかもしれません。
菅野さんの意見に私はとても共感を覚えました。
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都会に供給する地方という位置づけだ。「食料供給基地」の前に現地の方々の意見を充分に聞きながら、それらを活かす復興計画こそが必要なのではないのか。生産より生存、生活だ。地方は都会の植民地ではない。
都会の家来でなく、植民地でもなく、エネルギーから食料まで、小さくてもしっかり地域に根を下ろした自給圏の形成を目指す。農業を基礎にした脱原発、脱成長の循環型社会を目指すこと。その余剰を他の地域に回す。地方も都会もなく、一様に自立する。。。。。。。。。。。。。。。。
岩手、宮城、福島、茨城、各県にこの際、独立宣言ともいえるビジョンを作ってもらい、国はこの災禍の罪滅ぼしに、無条件で、資金を提供する。そのぐらいのことがなければ、とてもではないけれど、すみませんじゃすみませんよと言う怒りが、私にすら湧いてきます。
●2011.05.01
●くみ
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