いわて花巻のわんこそば屋さん 『かじや☆ブログ』

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すっかり慣れた車中泊で、営業再開の朝もスッキリ起床。

相変わらずのガソリン渋滞、沿岸被災地、福島原発の不安など、どれだけのお客様がお食事に来ていただけるのか不安でしたが、昨夜の私のように、日常の生活にホッとしていただけるように明るく元気にお客様をお迎えしようと思い、営業準備を行いました。

10時にはスタッフもそろい、取りあえずしばらくは昼の11時〜14時のみの営業、その代り定休日無しで様子を見ていきたいということ、営業時間の短縮、スタッフ配置の関係でしばらく給料が減るかもしれないということ、みんなで協力してこの危機を乗り切ろう!とお話しさせていただきました。

結果的に初日のお客様は予想通り少なかったのですが、それでもまずは日常生活を取り戻す初めの一歩を踏み出せました。

この日、震災後初めて自宅アパートで休むことにし、久々のブログ更新もすることができました。
当時のブログの内容はコチラ

家族はいつ帰って来れるのか、ちなみにこのとき妻は妊娠3か月ほどだったので、花巻に帰ってきて不自由な暮らしをするよりも、もう少し京都にいた方がいいのかも…なんて考えたりしてました。
熱帯魚は震災後の停電によってエアーもヒーターも停止したためすでに死んでいました。
久々にゆっくり見たテレビで津波の映像を見て、震災後初めて泣きました。悲しむ余裕が出て来たんだと思います。

たしかそんな一日でした。

寒い車内のお陰か、朝は6時前には目が覚める。

かじやのある東町は昨夜の間に停電が復旧したらしく、いつものように電気が使える状態になっていた。これでやろうと思えばいつでも営業を再開できる状態にはなったけれども、市内はガソリン不足による酷い渋滞が続いており、まだまだ市民に外食する余裕はないのでとりあえずもう少し情報収集など、様子を見ることにした。もちろんうちの社長達も未だにいつ帰ってこられるかのめどが立たないし、スタッフもガソリン不足で外出を控えている状態、さらに地震による交通網の混乱、ガソリン不足による物流ストップで食材も安定供給されない可能性があった事も前提として頭にあった。

まず避難所に行ってポットのお湯をチェック。昨夜よりも沢山のポットが空になっていた。おそらく避難所の人たちに「お湯がある」と認知され、お湯を利用する方が増えたのだと思う。避難所の夜は寒かったと思うので、少しは役に立ったのかな。避難所のお湯は一日に3回ほど、空のポットをかじやに運び、再びお湯を沸かして補充し続け、常に切らさないようにする事ができた。ポットが沢山あって良かった。

壁に貼られた新聞や、市役所のテレビで情報を得る。市役所ではコンセント電源が解放されており、多くの方が携帯の充電に利用していた。同じ場所にあるテレビでは津波の様子や避難所の様子、行方不明者の安否情報などが常に流れており、沢山の人が静かに食い入るように見ていた。私も含め、それで初めて津波の映像を見た人も多かったと思う。とても現実とは思えない、信じられない光景にショックを受けた。

市内の主要信号機は復旧していたため、今日は青年会議所さんによる交通整理は無し。でもガソリン渋滞の交通整理は必要だったと思う。震災直後から続いたガソリン渋滞は本当に酷いものだった。震災後三日目くらいからはどこの給油所も深夜から給油待ちの車の列が出来始め、給油所の従業員さん達は毎日お客さんからの暴言や苦情などで大変そうでした。夜も強盗や襲撃が怖くて眠れなかったそうです。

日和佐さんでは昨日の夕方には電源が復旧しており、市役所そばで人通りも多い場所ということもあり既に営業を開始していた。様子を聞いてみると、こういう状況でなかなか買い物にも行けないから食べに来る人が結構いるようだった。

いつまでこういう状況が続くかもわからないのに、いつまでも休んでいても仕方ない。店を開けなければスタッフにも給料をあげる事もできない。それでは結局経済が回らないではないか。こういう状況だからこそ、赤字を承知でも営業を再開できるお店は再開するべきだと思い直し、すぐにスタッフに出勤できるかどうか確認し、さっそく明日からの営業を決めた。スタッフの一人には連絡を取ってもらったり、本当に色々とお世話になった。私一人ではお店も開けるに開けられなかった。

店に戻り、放置していた店内を片付け、明日の営業に向けて準備をした。停電で止まっていた冷蔵庫や冷凍庫の中身も、ほとんど開けずにいたため無事だった。震災後は雪も降って寒い日が続いていた事も幸いしたんだと思う。

夕方には再び避難所でポットの確認。市内の大部分で停電が復旧した事もあり、避難所の人数はかなり減っていたため、お湯の補充も体育館の給湯器で十分になっていた。お湯を届けるのも今回が最後に。

花巻の夜の繁華街「双葉町」でも停電は復旧していましたが、営業を再開しているお店はごく少なかった。震災による自粛ムードで、こんな時に飲みに来るお客さんなんていないっていうのも大きな理由の一つだったと思う。そんな中、いつもお世話になっている行きつけのお店が営業しているという事だったので、体は疲れていましたが、精神的にも凄い疲れていたので、明日の営業を前に少しリフレッシュしたくて行ってみました。

客は私一人。マスターも誰も来ないと思っていても、家で何もしていないよりは店開けてた方がマシ、というつもりで開けたらしい。私は震災後、何をしたら良いのか、何をしなければいけないのか、とにかく体も頭も動きっぱなしで結構疲れ果てていたのですが、マスターと地震の時の事やこれからのことなど、久しぶりのお酒を飲みながら、おっさん二人でゆっくり話しをすることでかなり心が癒され、精神的に落ち着きました。世の中がこういう状況の中、かじやも含め居酒屋さんなどのお店が営業をすることに悩んでいましたが、「それは社会活動だから」と言葉をいただいて、本当に勇気が湧きました。

自分が出来る事をいつも通りする事。
日常を取り戻すため、とにかく頑張るしかない!と、凄くスッキリした気持ちでその夜は再び車中泊しました。停電は復旧していたのですが、まだまだ大きい余震も多かったので。

たしかそんな感じの一日でした。



震災翌日、車中泊は割と快適でしたが、早く寝たということもあり、朝は6時位には目が覚めました。

かじやではガスは復旧していましたが、相変わらず停電は復旧しておらず、とりあえず情報収集のため避難所となっている市民体育館に行ってみる。避難所にはたしか300人程が昨夜から身を寄せており、夜通し活動していたであろう、疲れた様子の市役所の職員を中心に、赤十字の方々などのボランティアチームが協力して朝食の炊き出しを行っていました。体育館の壁には新聞の号外が何枚も貼られており、沿岸部の被害の甚大さを知りました。

「これは大変な事になったな、観光客もこれなくなるし、かじやの経営も危うい」と思いました。

とにかく避難所には沢山の方がいて、私も何かできることは無いかと思い、かじやのそばを炊き出ししたいと市役所の方に申し出、何食用意できるか確認しにかじやに戻る。体育館の出入口では避難所の方々のスリッパが散乱していたので、通る度に綺麗に整えたり、目に付いた自分にできる事を片っ端からやったのを覚えている。

かじやに戻り薄暗い厨房でそばとつゆの量を確認。ところが、ガスがきているのだから大丈夫と思っていたそばを湯がくための大釜のメインバーナーが、停電の為に使用できないことが判明。この時は本当にガックリした。これでは大量の避難所の方々に炊き出しは不可能。とりあえずまた避難所に戻りその旨を伝えた。それでも何かできることは無いかと避難所を見渡すと、温かいお茶はあっても「お湯」が無い事に気がついた。お湯があればカップラーメンやカップスープなど食べることもできるし、子どものミルクを作るにも役に立つ。かじやには普段お茶を入れているポットが沢山あるし、ガスはきているので(水も出た)お湯を沸かして避難所に届けることにしました。また、その12日の営業のために用意していたご飯を、かじやのスタッフの協力を得て炊いて持っていく事ができました。営業再開の目処が立たないので、かじやのスタッフの家を回り、様子を確認しながら明日以降の連絡を待ってもらう。いわゆる自宅待機だ。スタッフにはカップラーメンやおにぎりを分けていただき感謝。屋根でソーラー発電をしているスタッフには携帯の充電もしていただいた。

市内では停電の為信号機も機能しておらず、既にガソリンを求める交通渋滞も発生していました。私は市民ボランティアに登録し、花巻青年会議所の方々に混ざって市内各所の交通整理にあたりました。私は「シャロン菓子店」さんと二人組になって、マルカン前の交差点の交通整理をしていました。初めての経験でしたが割とすぐに慣れ、中には暴言を浴びせる方や、静止を振り切って自己中心的に無理矢理通行する方もいて、大変な時もありましたが、二人でアイコンタクトを取りながら何とか交通事故もおこらないようにする事ができました。

交通整理は夕方で終了。避難所で空いたポットを回収し、夜に備えてお湯の補充をしにかじやへ。市役所の職員の方が手伝ってくれた。ろうろくの火の灯りの中、厨房で湯を沸かし、再びポットを満タンにして避難所へ。減ったお湯の分だけ誰かの何かの役に立ったと実感。

その後、再び青年会議所の方々と合流し、夜は市内の夜警にでる。沿岸部では震災後治安が悪化し、強盗や空き巣、強姦などがおきていると聞いていたので気を引き締めて臨んだが、青年会議所の方々の和やかウキウキムードに少し気が抜けたを覚えている。でも、何もしないよりはマシだったし、気を張ってばかりでは身が持たなかったと思うので、あれはあれで良かったとも思う。

貴重なガソリンを使った夜警を終え、青年会議所のその日のボランティア活動が終了。市内では場所によっては停電も復旧し始めていましたが、かじやや自宅アパートはまだ停電が続いていました。夜に備えて避難所のポットの残りをチェックし、再びかじやの駐車場で車中泊。不思議な事に震災後は常に何か動き回っていたのにあまりお腹が空かず、ちょっとお菓子を食べる位でした。沿岸部では満足に食事も取れないと聞いていたので、それもあって食事を取る気にならなかったのかも。

仙台空港は津波により水没、いわて花巻空港は震災救助の拠点となり、京都の家族が帰ってくる目処も立たない。相変わらず続く余震の中、多分11時位には就寝。

たしかこんな感じの一日でした。


最近増えてきてましたが、今日はさらに3.11関連の特別番組が多かったですね。あの日を、あの出来事を風化させないためにも必要な事なんでしょうけど、やはりあの日の事を思い出すのはまだ辛いものですね。

私は地震発生時、かじやの昼の営業を終え、スタッフと遅い昼食を取っていました。当時社長と奥さん、そして私の家族は2日程前から京都に旅行に行っており、その日の夕方の便で花巻に帰って来る予定だったので、その日はまだ私が花巻に一人残り、かじやを任されていました。

そして地震発生、これまで震度5強までは経験した事がありましたが、これまで感じた事のないほどの強い揺れ、長く、どんどん揺れも大きくなるので、スタッフに屋外に退避を指示して私も外へ避難しました。後からわかった実際の震度は6でした。

目の前の建物が、まるでプリンみたいにぐわんぐわん揺れて、「あぁ崩れる!」と思いました。何分間揺れ続けたのか、やっと揺れがおさまって気づくと、スタッフの一人が見当たらないので、焦って探すと、裏の駐車場で柵に捕まりしゃがみ込んでいました。

すぐに停電、厨房では一杯だったそば釜のお湯は半分以下になり、棚に重ねていた食器は散乱、鰻のタレが倒れて床に広がっていました。それでも思った程の被害が無かったので、片付けはいいからとスタッフをすぐに帰宅させ、一人片付けを行いました。この時はすぐに停電も復旧すると思っていました。

運悪く携帯の充電も切れる寸前だったので、妻に「生きてます」とだけメール。大阪の伊丹空港でいわて花巻行きの飛行機に乗る直前だった家族も帰って来られなくなりました。

一階の店舗は割と被害は少なかったのですが、二階の社長自宅ではダイニングの食器棚から食器が落ち、廊下の棚からは置物や写真立てが落ちて、その破片が散らばり裸足で歩くのは危険な状態。強い余震が数分おきに襲って来るたび外に避難しながら、とりあえず危険なものだけ片付けて、火の元を確認し、施錠して私のアパートの様子を見に向かいました。

途中で同級生のいる「焼肉レストラン日和佐」さんに立ち寄り情報交換。市民体育館が避難所になったこと、停電の復旧の目処が立っていないことなどを聞き、夜に備えて懐中電灯やろうそくを取りに店に戻りました。辺りは暗くなり始めており、情報に感謝。仏壇のろうそくに火をともし、停電により暗くなった室内で、どこにあるかもわからない懐中電灯を探す。運良く発見し、予備の電池とろうそくを持って再びアパートに向けて出発。日和佐さんにろうそくをお譲りしに再び寄ると、おにぎりだったかカップラーメンだったかパンだったか忘れましたが食料をいただきまた感謝。

アパートは台所がメチャメチャになっており、居間では飼っていた熱帯魚の水槽の水が溢れ水浸しに。とりあえず片付けられるだけ片付け、外はもう暗くなって来ていたので後は明日にと思い、ちょっと一息。相変わらず強い余震が何度も何度も続くので、その度避難したりするのが面倒なので、その日は布団を車に積み込み、かじやの駐車場の真ん中で車中泊をすることにしました。

停電でテレビも映らないので、カーラジオだけが震災の情報を得る唯一の手段。飛び込んでくる「10メートルの大津波!」「沿岸は壊滅です!」の声も、映像がないためなんだか実感もわかず、続く余震に車ごと揺られながら早めに眠りました。


たしかこんな感じの一日でした。





今朝の岩手日報の記事に、気になる記事が。

日本全国の市町村、探せば色々とユニークな部署があると思いますが、いわて花巻にも「賢治課」ができるそうです(^∇^)

いわて花巻の重要な観光資源をうまく活用して、沢山の観光客様が訪れるようになるといいですね☆








京都土産にいただいた「しののめ」さんのじゃこ山椒♪美味い!鯖寿司も美味かった〜☆

今朝のいわて花巻は良い天気(>_<)




一度気温も上がってホッとしたのもつかの間、今朝は再び大雪に見舞われてますいわて花巻f^_^;)

昼過ぎまではどんどん積もる重いぼた雪、その後水っぽいべちゃべちゃの雪になり、雪かきが大変でした( ;´Д`)

朝から雪かきしてくれたスタッフさんご苦労様でした!




明日は水曜日でかじや定休日なので、今夜は仕事終わりにちょいと一杯♪

その前にもりそばでちょいと腹ごしらえ☆そばやそば湯は悪酔い・二日酔いの予防に良いと言われているんですよ〜(o^^o)





只今お昼休み中☆

かじやはお昼の営業の後、大体2時半位からお昼休みに入ります(o^^o)
そして夕方5時から夜の営業が始まるのです。
( ´ ▽ ` )ノ





いわて花巻の朝日大橋からの夕焼け空♪

この橋からの景色はいつも綺麗☆

※運転しながらの撮影は危険ですのでおやめください(笑)




いよいよ明日は「第54回わんこそば全日本大会」(o^^o)
花巻わんこそばの特別番組制作のため、大会前日には毎年テレビ岩手さんの取材が入ります☆かじやの社長もインタビューで出演しますよ〜o(^▽^)o

放送日は来週の18日(土)10時からだそうです☆30分番組ですが、わんこそば大会の様子や、かじやの他にも花巻のわんこそば店の紹介など盛りだくさんの内容になると思いますので、どうぞご覧くださいね(o^^o)







志戸平温泉で巨大なつららを見つけたので思わず写真を撮りました(>_<)

やっぱり温泉の方は市街地と比べて雪もまだ多いし、同じ花巻でも景色が変わって面白いですね☆




かじやの店内飾りは季節によって変わります☆

節分も終わり、今は雛飾りになりました♪店内には大小11組みの雛飾りが各所にありますので、ご来店の際にはどうぞ探してみてくださいね(o^^o)





会議は花巻市交流会館で行われました☆

ここは以前は空港ターミナルだったため、色々な場所に当時の面影が(o^^o)




いよいよ来週に迫る「第54回わんこそば全日本大会」に向けて、万全を期すため実務者会議を行って参りました☆

事前準備から当日の流れなど、細かい部分までしっかりと話し合って来ましたよ〜p(^_^)q