あんしん情報館 TDAの日報

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ずっと気になっている 南陽市水林地区。

図書館でその歴史を調べて来ようかと思っていたのですが、

ふと、実家に『南陽市史』があったことを思い出しました。

    
    (^◇^) あった!載ってた!


昭和40年代に撮られたという写真も載っているではないですか!

先日行った時には、森の中に廃屋の姿がちらっと見えるくらいで、

明らかに『森』だったのですが、

写真の水林地区は、確かに『集落』でした。

  水を守り、山を守り、樹を育てることを任務としてきた水林の人々。

  高所での生活は相当大変なものだったようです。

  それでも、本当に長い間、そこに住まい

  水と樹を守り続けた…。

  そして皮肉?にも

  現在

  かつて集落があったところには、多くの樹が茂って

  清らかな水が 静かに 流れています。


『南陽市史』には、水林地区について

7世帯からの分家は禁じられていた とか 興味深いことが書かれています。


 若いころには 気にもしなかった 地元の歴史。

 水林地区に関することだけでなく、面白いなぁと思うようになったのは

 年をとったせいかなぁ。




  

休みの日は、日報ではなく日記で投稿します。

    
     (;一_一) 日報の方を真面目に提出してくれ。


日曜日は、お客様にお伺いした『南陽市の水林』に行ってきました。

南陽市の方、ご存知ですか?

荻にある水林地区。

私、南陽市出身ながら、知りませんでした。

一時期『滝』に凝った?ハマった?時期がありまして、

子供を連れて、『くぐり滝』に行ったことがありました。


     (;一_一) 子供はかなりブーたれていましたけど…。
          どこに連れて行かれるのかと思ったら…滝。
          夏場は滝に行くことが多かったなぁ。


『くぐり滝』は看板も出ていて、有名ですけれど

その先にある、吉野川の源流の水林地区はしりませんでした。

歴史的背景のある土地のようで、


     (;一_一) 行ってみてから調べたんだよね。


江戸時代に米沢藩が水守、山守、7世帯を住まわせた土地で

1977年に閉村し、現在は誰も住んでいませんが、

約350年にわたり、水源の山と水を守ってきたのだそうです。


さて、では実際行ってみてどうだったか。



新屋敷という集落を抜け、どんどん山の中へ。



ん?ほんとにこの先に集落があったの?というくらい、

どんどん山の中へ。




途中分かれ道があったと思ったら、道祖神?お地蔵様?があり、

やはり、集落があったんだ!と確信。

その分かれ道を左折。

すると右手に廃屋が見えました。

やっぱり!


すぐに行き止まりになっていたので、車を降りて、

散策。(熊を警戒しながら)

家屋の姿は、すっかり屋根が落ちていたので原形を想像することは

難しかったのですが、

清流に沿って石垣があり、橋がかかって、家屋があったこと。

清流までは石段があって、降りられるようになっていたこと。

きれいな水が流れていたこと。

ん〜!歴史を感じました。

崩れていた屋根はトタン屋根だったので、そんなに古いとは

思わなかったのですが、

何せ、あの場所です。

     (;一_一) あの場所としか表現できずにすみません。
          写真をちゃんと撮ってこればよかった。


ものすごい何かを感じました。

帰りは、普段自分が生活している場所を当たり前に

通過してきただけなのに、

何か不思議な感じがしました。


集落があるはずはなさそうなところに、生活の跡があった…。

ものすごく『水林地区』が気になって、帰ってきてから、

すぐに携帯で調べました。

      (;一_一) 家にパソコンないんだもんね。

そうしたらびっくり(水林地区の歴史は前述)!でした。

ネットで知りえた情報は少ないので、もっともっと調べたい、

知りたいと思いました。


 そして、水林地区のことを教えてくださったお客様に感謝!です。

 出会いがなければ、私、たぶん、一生知らなかったでしょうから。


 

 













あまりにおバカなので、却下されるだろうアイディア。

  昨日の日報をさっき書いて、その続きで今日の分を書いています。

  お腹が痛いのも継続中で…。

  何が原因なのでしょう…。


それで、却下されるだろうアイディアについて。

…やはりダメです…お腹が痛いので、また今度に。


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