TDAの日報

▼■□■11月2日の日報■□■(父の死A)

初雪が降りました。

ずいぶん冷え込みます。

  さて、日報からだいぶ外れ、また仕事からもだいぶ外れ、

  父の死のことを書いています。


@からの続き・・・

 実家へ近づくと救急車が見えました。

 人だかりもあったように思います。

    真っ先に救急車に駆け寄りました。
  
    運転席と助手席に救急隊の方が乗っていました。

    「○○(父の名)の娘です」

    急ぐ様子もなく車中にいた救急隊の方を不思議に思いました。

    「おうちの方に行ってください」

 このあたりで胸のトカトカが強くなったような気がします。

 近所のいつもお世話になっている方々の顔を認めながら

 でも、掻き分けるようにして 

 玄関に向かいました。

    そこはいつもの実家でした。

    玄関を開けると正面に居間があるのですが、夏は戸を開放しています。
  
    だから玄関を開けると、すぐに居間が見えます。

    このときは玄関の戸も開け放たれていたため、

    近づくと、外からも居間の様子が見える状態になっていました。

 いつもの実家の様子でした。

          人がたくさんいること以外は。


      テレビがついていました。
  
      エアコンがついていました。

      適当に新聞が置かれていました。

      父がいつもの場所で横になっていました。

 
  何のことだかわからない・・

  救急隊の人は?タンカは?

  救急隊の方よりも警察の方が多くいたように思います。

    
     父はいつものように、ごろんと横になって

     いつものように、テレビを見ている格好でいました。

 
 救急隊の方からでしょうか

 「娘さんですか」と

  確認されました。

 「はい」

 「見てください。下になっている部分に紫斑がでています。

  これはお亡くなりになってから時間がたつと出るものです。

  ですから・・・私たち(救急隊)は帰らせていただきます」

    
   注)この救急隊の方の言葉は不確実です。私の解釈で書いています。

 
「はい」

   何でこんなときに一人なの?救急車に乗らずによかったの?
 
   私は、「はい」と返事してよかったの?

   私が決断してよかったの?


 
 実家では 父と祖母が二人で生活していました。

 この夏祖母は関東に住む自分の娘のところに、目の手術もあったので、

 いっていて

 父は一人でした。

              …つづく
  


      (;一_一) 仕事の話はあきらめます。
           気が済むまで日報を私物化…いや、日記に
           …でもないか、
           まぁ、自由にしてくれ。










2009.11.02:josyo

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