原発と経済と人類

たいそうな表題なのだが、大そうな内容ではないのである。


”原発を再稼働せよ、さもなくば経済は破綻して、日本は立ち行かなくなる。国民は路頭に迷うだろう。
原発反対を申し述べる人々は、理想ばかり追わずに現実を直視せよ。”

こんな意見がある。

まあ、それももっともな事ではあるが、納得行く再稼働の理由ではないと思うのである。

なぜなら、それは、原発事故の有無により、日本存亡の危機を孕むと言う事である。
経済が破たんしたくらいなら、人類は何とかしてでも生きていく。

昭和初期より以前の日本など、経済が破綻どころか誕生もしていない程の状況だろう。

海外に通じる産業と言えば絹糸製糸位のものではなかったのか。

まあ、破たんした経済国・日本は、昭和初期から明治、江戸に戻る訳であるが、破たんを恐れ、癌発を稼働し、万が一大事故が起これば、破たんどころでは済まない。

滅亡とか、日本国跡地とか、そういう話である。
そこには日本の未来がないと言う事である。

人類の恐らくは共通の幸せである家族を持ち、そして未来へ伝える。

そういう事を諦めなくてはならない、いや、奪われる訳である。

原発が信用ならず、危険であるというのは、その構造や放射能の作用などの物理的な面と、それ以上に、そこに関わる人間の闇である。

絶対安全なんてある訳がない。

地球でさえ、隕石の衝突や、太陽嵐、大噴火などの人知がどうにもできない自然災害、危険があるというのに、それをさておいて、絶対安全と言い切る、あるいは概ね安全で、ただちに危険な訳ではない的な言を放つ連中がおる。

だいたい、こないだの地震津波で原発なんて危ないもんだ・・・
と、みんな見ていて分かってる、というのに・・ストレステストで安全を確認する・・・だってさ。

原発安全神話を再構築って訳だ。


原発反対って言うのはだね、
人類の未来を、経済主義に売らないっていう意味なのである。

俺たちや人類の未来は、俺たちや人類のものであって、なにがあってもその未来は売らない!と言う事な訳さ。

誰に売るのかって?
そりゃ、東電とか・・・経済を牛耳る奴らにだね。


原発立地するところがないから、原発関連の補助金が落ちる訳だ。
その土地と未来を、原発の会社と国家に売った訳だからいっぱいお金がもらえる訳ですね。

その立地町村が、まあ大飯原発のね、あの辺りが、原発動かしてもらわなきゃ困ると言ってる。

喜んで原発を動かして欲しい訳ですね。

というと、進んで原発をやりたい訳ですよね??そうでしょ??
じゃ、原発嫌々我慢助成金なるお金・・・・その町村にやる事ないんじゃぁありませんか??

あれは、嫌々だけど仕方がないから原発許してあげるわ、と言うところに出るお金なんでしょ????

どうも、この辺の所がおかしいのである。
発想を転換して眺めて見なきゃならん。


まったく・・・・
ウンチに群がる銀バエみたく見えてきた・・・・・




2012.06.04:kuma仙人:[ぼやき・つぶやき]

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