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▼犬に申し訳ない

前回、高畠町の犬の宮をブログに記載したが、昔から尻尾がある四つ足のものの呼称が畜生と聞いたような記憶がある。
しかし一概に飼い犬、飼い猫を畜生と言うには忍びない。
家族同様に接してきた愛犬や愛猫を畜生とはとても呼べないだろうし
まして人のために尽くしてくれたものにはこの呼称は申し訳ない。
では畜生とはなんぞや?

摩訶般若波羅蜜経の注釈書である『大智度論(だいちどろん)』には、
「恩を知るは大悲の本なり、善業を開く初門なり。
恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」と説かれています。

渋谷駅で10年間、亡くなった飼い主の教授を待ち続けた
「忠犬ハチ公」とまで行かなくても
犬は3日飼えば恩を忘れないと言われるのに、
恩知らずな人は、畜生よりもお粗末だ、ということです。
(犬より劣るなどと言ってはハチ公や我が家の警察犬に失礼この上ない。)

【畜生道(畜生界)に生まれるとどんな生きざまになるかというと、
強い生き物が、弱い生き物を食べる弱肉強食の世界です。
畜生は、獣でも、鳥でも、魚でも、虫でも、
常に自分より弱い、食べ物にする生き物を探し、
自分が餓死する前に、他の生き物を食い殺さなければなりません。
頭はあまり発達していないので、
先のことはあまり考えられませんので、
本能的に欲のままに生きています。
常に「今さえ楽しければいいや」と考えて、
弱くて美味しそうな生き物をただただ追いかけ回す、
刹那的な、快楽主義の生き方をしています。】

つまるところ畜生とは 人間に例えれば
本能の欲のままに生きて嘘つきで刹那的で快楽主義。
(端的に酒と女しか興味が無いヤツか。確かに頭はあまり発達していないな)
犬より劣る畜生だが畜生より劣る人間が居るのも事実。
その人間の姿をした畜生人間に騙されているもっとバカな人間がいるのも事実。
とどのつまりは畜生界も人間界も紙一重。

落ちるか落ちないかは自分次第ということか、、、。

見る目を持たないと知らぬ間に尻尾が生えますよ。
と、いうことか。
2019.11.08:izumiya

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