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お子さんが描いた芋煮会の絵をお寄せください。 日本一の芋煮会フェスティバルを描いた絵でもいいですし、家族で やった芋煮会、幼稚園・学校でやった芋煮会の思い出でも結構です。 絵はデジタルカメラなどで写真にとり、メールでお送りください。 このホームページに掲載させていただきます。 右側の「子供さんが描いた芋煮の絵」をクリックしてもらうと、 これまで投稿していただいたものが一覧で見られます。 投稿いただく際には次の内容を盛り込んでください。 ○タイトル ○本文 ○絵の写真(添付ファイルにて) ○お子さんのお名前もしくはハンドルネーム ○簡単なプロフィール なお、対象は小学生のお子さんまでです。もちろん、親が代わって 応募していただくのは差し支えございません。 投稿先メールアドレスは、次のとおりです。 ●△■@***.co.jp ++++++++++++++++++++++++++++++++++ |
巨大な身体が自慢!動かざること山の如し、、、といいたいところだが、これがなかなか身が軽い。それもそのはず、本職は鬼澤塗装店の専務取締役兼職人頭だ。細いハシゴをひょいと担ぎ、パタっと掛けては、スルスルーと駆け上る。ウヒョー、ハシゴがしなってるー。
身軽なのは、ハシゴ登りだけではない。腰も軽く、いろいろな人のところに出向いていく。時には、人なつこい笑顔で、時にはドスの聞いた声を響かせながら、、、と、言うことで実に交際範囲が広い人物。この特徴を買われてついた今年の役職が広報部長! この広報部長の個人的な想いはこうだ! 芋煮会フェスティバルは山形商工会議所青年部のイベントと見られがち、これを「山形市民のイベントにして行きたーい」とこのこと。 表情、体つきから「キャベツ畑人形」を名乗っている。 |
穏やかな笑顔に包み込まれ、メガネの奥に隠された鋭い瞳を、あなたは見抜けるだろうか!?
今回紹介するのは、事務局「アコ&ユカ」の直属の上司である事務局長の飯野である。それもそのはず、飯野の本業は山形酸素株式会社の経理課長。筋金入りのプロ。事務局長にうってつけの人材なのだ。 芋煮実行委員会では飯野の上にはたくさんの上役がいる。「うんうん、分かった」と外面がとにかく良いの者。「俺の言うごと聞げズー」と声の大きい我が儘者も多い。でも、やっぱり扇の要は事務局長。冷静な判断で、ドスの聞いた声で周囲を黙らせるはず・・・だ。 しかも、飯野は経理だけの人間ではない。キャリアのスタートはコンピュータシステム。そして、営業・・・それから経理に7年。写真の笑顔とウォームハートな人柄で、きっと周りをその気にさせていくことだろう。 |
芋煮会に欠かせないのが、ツル付き鍋。普通仲間内でやる芋煮会では、川原に転がっている石を数個ひろってきて竈をこしらえ、その上に鍋をのせる。
写真の大鍋は、直径が6mもあり、一度に3万食を造る巨大なもの。平成4年から使われている2代目の鍋である。山形の伝統工芸である非鉄金属組合に発注、長瀬鉄工所で造られたもの。移動にはヘリコプターを使い、竈も高さ3mもあるコンクリート壁を組み合わせてしつらえる。 毎年使用後は、会場近くの道路端に観光用として展示され、誰でも見ることができるんです。 場所は、山形自動車道 山形蔵王ICをおりて、直ぐの信号を左折。右手に馬見ヶ崎川を見ながら下ること3〜4分、国道13号線のガード下をくぐって、150mくらいのところの左手。鍋の後ろ手には山形市消防署があるので直ぐ分かります。記念写真をどうぞ! |
知っている人は少ないと思うけど、「日本一の芋煮会フェスティバル」は山形商工会議所青年部が主催している。青年部の中に芋煮実行委員会を組織し、専任の事務局員を2名おいて、準備を進めていくのだ。
今日、4月4日(月)は事務局開き。ファックスの設置だ、パソコンの設定だとごった返している中を山形商工会議所の2階にある芋煮事務局を訪問、今年の事務局員に話を聞いてきた。 右側で立っているのがアコちゃん、左側で座っているのがユカちゃんだ。 二人とも山形生まれの山形育ちなのだが、ちょっと対照的。アコちゃんは飯田に住んでいて、子供の頃から日本一の芋煮会には何度も来ていたそうだ。「子供の頃から馴染みのある芋煮会に携わってみたい」と思って事務局に応募したとのこと。一方、ユカちゃんは大森に住んでいて、一度も日本一の芋煮会を見たことがないという。「どんな事するのかなぁ。」と好奇心から応募したとのこと。 二人のマスコット、これからどんな活躍をしてくれるのか、楽しみ!がんばれよー。 |
平成の幕開けとともにスタートした”日本一の芋煮会フェスティバル”も今年で17年目。人間に例えれば高校2年生、そろそろ自立の準備に入る年頃かな。
私は山形商工会議所青年部の一員で原田幸雄っていいます。このブログの中ではムーミンパパと名乗らせていただきます。 実は、青年部にも「卒業」ってものがあって、私は最後の年を迎えています。 入会して5年、一度はフェスティバルの準備・運営を担う「芋煮部会」で活動をしてみたい、、、と思ってはいたんですが、いかんせん一人で仕事をしている関係上、どうしても時間が割けない。 そこで、内部にいる人間として、「日本一の芋煮会フェスティバル」の誕生物語、歴史、そして今年の準備状況、織りなす人間模様を取材してみたい、という思いに駆られこのブログを開設しました。 ○9月4日(日) ○馬見ヶ崎川 双月橋付近 にて、皆さんのご来場をお待ちしております。 それまでは、このブログでお楽しみください。 |
私、当ブログの編集長で原田幸雄と申します。当年とって45才。
日本一の芋煮会フェスティバル会場ある馬見ヶ崎川の河川敷の直ぐ近く双月町でで産湯につかりました。ものごころついた時から毎年2〜3回は芋煮会をやっていたように記憶してます。実家は農家。子供の頃は里芋を作っており、祖父や母親が、川で芋洗いをしていたのを見ていた記憶があります。屋号も「芋屋」だったから、結構な量を作っていたんでしょうね。中学校、高校、大学時代は秋になると、いつも場所取りが私の担当でした。 今の仕事は、人材紹介業。優秀な人材を欲しがっている企業と高度な経験をもっている転職希望者の仲人役です。山形では、珍しい仕事です。 「山形へUターンすっだい人!」連絡まってまーす。 さてさて、日本一の芋煮会フェスティバルは平成元年から始まりました。今年で17回目。私はこのフェスティバルを主催する山形商工会議所の一員でもあります。組織の内部にいることを利用して、皆さんに、表に出てこない、苦労話、歴史、人間ドラマを伝えていきたいと思います。 他、4名の取材記者ともどもよろしくお願いします! |
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