生活に取り入れたり、仕事で生かすなどしていただけると本望です。
◎伏見工ラグビー部の原点 京都市スポーツ政策監 山口良治
「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」より
31歳まで日本代表でいて、最後のころの遠征では山口のキックが外れて負けたという試合がいっぱいありまして、舌をかんで死のうかと思うぐらい責任を感じました。
それで教師になって伏見工業高校に行くんですが、日本代表の名選手が先生になって来てくれるんですから、ラグビー部の連中はみんな大喜びで私を待ち受けてくれているだろうと思って行ったのに、「何が全日本や、関係あらへん」という連中で、これはもう貧乏くじ引いたなと思いましたね。
学校の中をバイクが走り回る、先生に暴力を振るうというひどい学校だったんですよ。
しかしそういう学校に行って、こいつら問題を起こしても注意もしてもらえないで、きっと寂しいだろうなと思ったんです。
俺がこの学校でしなければならないことは、俺たちの学校、俺たちの母校、俺たちの恩師といった誇りを植え付けてやることだと思った。
それには自分にできることは、自分が青春を懸けてきたラグビーしかないと。
そういう思いでラグビー部の監督になるんですが、ぼろ負けした花園との最初の試合で生徒に教えられるんですよ。
120対0で負けるんですが、途中までは「何をやっているんだ、タックルいかんか」とか「何びびってる、同じ高校生やろう」とか言ってどやしつけていたんですが、生徒は「何わめいているんだ」という感じで生徒と私との間に通い合うものはなかったんです。
もう放って帰ろうかとも思った。
何もしてやれないもどかしさの中で、花園の選手が弱い伏見相手にトライするたびに巻き起こる拍手や歓声が嘲笑(ちょうしょう)に聞こえてきたんですよ。「ざまーみやがれ山口」という。
悔しくて涙が出て、その涙が私に何を教えてくれたかというと、初めて、こいつらどんな気持ちで試合をやっているんだろう、めちゃくちゃやられて悔しいだろうな、と思えた。 そのときに、俺はこいつらにいままで何をしてやったろうかという気持ちが湧いてきた。
偉そうに「何してる、ちゃんとやらんかい」と冷たい言葉を言うだけだった。
その言葉の裏には、俺は全日本選手だったんだ、俺は監督だ、俺は教師だという気持ちがあって、よく考えたら何もしていないことに気づいたんです。
そんな自分に気づいたとき、本当に涙で謝ってました。
「すまん、俺は偉そうにばかり言って、何もしてやっていなかった」と。
あの気づきが、僕は指導者の原点だと思います。
やっぱり自分に矢印を向ける勇気が一番大事なものだと思うんです。
その後、伏見工業は5年かかって、花園に勝つんですよ。そして翌年には全国一になりました。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
<コメント>
「自分に矢印を向ける勇気が一番大事」 「自分が間違っていたと感じたら、相手が誰だろうと素直に謝る」
この2つができないばっかりに遠回りすることってありませんか?
私はたくさん経験してきましたし、今でも油断するとそうなっている自分に気づきます。
相手(誰か)のせいにしてしまえば気が楽だし、実際にそうとしか思えないような出来事がひんぱんに起こります。
よほど冷静に考えて、結果をまるごと引き受ける気持ちにならないと、自分に非があるとは思えないものです。
「自分は悪くない、このままで良い、変える必要はない」
傲慢(ごうまん)と自己肯定の微妙な境を正しく感じ取ろうとしても、それはそれでなかなかむずかしいでしょう。
それよりは、「身近に起きる出来事はすべて自分に責任がある」とした上で、「ダメな自分もまたヨシ」とポジティブにとらえ、「今日1日はまさにそこを改善し向上する1日」 として過ごしていきたいです。