生活に取り入れたり、仕事で生かすなどしていただけると本望です。
◎人間は義務だけでは駄目だ 西村滋(作家)
「1日1話読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」より
ベストセラーになった自伝的小説『お菓子放浪記』がなぜ生まれたかについてちょっとお話ししますね。
昭和15年の暮れ、孤児院から逃げ出した僕は、お腹が空いちゃって、あるパン屋さんの店先で菓子パンをね、ちょっと失敬してしまったんですよ。
お砂糖が配給になって、甘いものがだんだんなくなってくる時代でした。
ところが情けないことに、その菓子パンを食べる前に刑事さんに捕まっちゃってね。年の瀬を一回だけ警察の豚箱で迎えているんです。
ある少年院に回されることが決まると、僕を捕まえた刑事さんに連れられて目的地まで行くわけですよ。
子供だから大丈夫だろうと、手錠もつけずに僕の手を引いて行くんです。
バス停でバスを待っていたんですが、向かいに汚い駄菓子屋があって。もう甘いものなんかないはずの駄菓子屋さんに、売れ残った菓子パンが二つだけありました。
それを刑事さんが買ってくださいまして、「バスが来ないうちに食っちまえ」って言うんですよ。
袋の中には二つありますから、当然一つは刑事さんが食べるんだなって思って、一つだけ取り出して返したんです。
そしたら、人のよさそうな刑事さんでしたが、にやっと笑って「ばか、一人で食べていいんだよ」って言われた時に、急に涙が溢れてきちゃって。
僕はそれまで一人で二つ食べるなんていう経験はないんですよ。少年院や孤児院などどこに行っても頭数で分けられる。
公平はいいことですよ。でも寂しいことです。
それがこの時は一人で二つ食べていいという。夢のような出来事でした。
それで少年院に行きましたが、僕はこの刑事さんのことが忘れられないんですね。
食糧難が戦争でどんどん広がっていく。菓子パンどころか米までなくなるような時代が始まります。
だから余計に、僕にとってこの時に食べさせてもらった、たいして甘くもない菓子パンが思い出になっちゃうんですよ。
刑事さんにしてみれば、こいつは少年院に入ればもう甘いものも食えなくなるし、戦争も酷(ひど)くなってくるから、せめて売れ残った菓子パンだけでもという、単なる思いつきだったのかも分かりません。
ただ、本来であれば刑事さんは僕を逃さないように警察から少年院に届ければ役目はそれで終わりでした。
なにも僕に菓子パンを買ってくれなくてもいいわけです。その「しなくてもいいこと」をされた僕が、86歳にもなってですよ、一所懸命お話しするくらいに心に植え付けられているのはなんでしょうかね。
僕はよく言うんですよ、人間は義務だけでは駄目だって。報酬をいただいて義務を果たすのは当たり前。
義務の上に何がくっつくのか、人間として何がくっつくのか、ここが大事だと思うんですね。
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<コメント>
刑事さん、少年がのちに作家となり、しかもその時のエピソードが小説になろうとは夢にも思ってなかったでしょう。
最近読んだ雑誌に惻隠の情(そくいんのじょう)という言葉が出てきました。
人が困っているのを見て自分のことのように心を痛める、相手を憐れみ心から同情する、といった意味で使われます。刑事さんの心はまさにこれですね。
近しい人同士ではもちろん誰もが持つ心だと思いますが、それを他人に広く及ぼしてこそ、良い社会が生まれるわけです。
義務を果たせばそれ以上のことは余計なこと。それが理性・合理の世界ですよね。それだけだと、間違いは少ないのかもしれませんが冷たい社会です。
今の日本社会はコンプライアンス違反を叩かれないように、必死で義務を果たすことに集中してしまっている気がします。もちろんそれはそれで大切、BUT…。
「しなくてもいいこと」は選択肢無限大です。スピッツの歌に「余計なことは し過ぎる方がイイ」
というのがありました。大賛成です(笑)。
温かい心を持ち寄って、いい社会をつくっていきたいですね。
心に菓子パンを携えて。