今月は長めの街ネタ1つです。致知出版社「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」よりそのまま掲載させていただきました。この本は「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」と合わせてご購入をお勧めします。生活に取り入れたり、仕事で生かすなどしていただけると本望です。
◎一流と二流を分けるもの 感性論哲学創始者 芳村思風
鎌倉時代末期の有名な刀鍛冶、正宗には一人娘がいました。
名はたがね。正宗はたがねが年頃になったら、弟子たちの中から一番優れた刀を鍛えた者を婿に取り、跡を継がせようと考えていました。
そのときがきました。テストを重ね、最後に二人が残りました。村正と貞宗です。
正宗はこの二人に勝負をさせることにしました。二人は懸命に刀を鍛え、師匠のところに持っていきました。
正宗は屋敷の中を流れる小川に、二人が鍛えた刀を垂直に立て、上流から藁を流しました。
すると、藁は村正の刀に吸い寄せられるように寄っていき、刀に触れるか触れないかの間にスパッと斬れました。
貞宗の刀にも藁が流れていき、引っかかりました。しかし、 引っかかったままで 斬れません。正宗が貞宗の刀を流れからスウッと引き上げました。
すると、引っかかっていた藁がはじめて斬れて流れていきました。村正は「勝った」と思いました。
たがねと結婚し、師匠の跡を継ぐのは自分だと思いました。だが、正宗の判定は意外でした。
貞宗が鍛えた刀のほうが優れていると評価したのです。たがねと結婚し、正宗の跡を継いだのは貞宗でした。
その後日談。
村正はこの判定に腹を立て、師匠のもとを出奔して、全国各地をめぐって刀を作るようになります。
村正の刀は鞘を払って見つめていると、なんとなく人を斬りたくなる。辻斬りなどがしたくなる。そういう妖気をはらんでいるために、それを持つ人間を次々と不幸に陥れました。
そのため、村正の刀は妖刀と評判になり、それを持つ人はお祓いをして妖気を鎮めるのが習わしになった ということです。
これは実に味わい深い話です。正宗はなぜ、貞宗の刀に軍配をあげたのか。
村正の刀は斬ろうとしなくても斬ってしまう。
貞宗の刀は斬ろうという意思を働かさなければ斬れない。斬ろうとしてはじめて斬れる。これこそ武士の持つ刀である、と正宗は考えたのです。
なぜなら、武士は人を斬るために刀を持つのではありません。天下国家を治めるために持つのです。
斬ろうとすれば斬れるが、斬ろうとしなければ斬れない。天下国家を治める人間が持つ刀はそういうものでなければならない。
村正の刀は切れ味は鋭い。斬ろうとしなくとも斬ってしまう。だが、そういう妖刀は武士が持つべき刀ではない、というわけです。
村正も貞宗も刀鍛冶としての腕前は第一級です。一流と言っていいでしょう。だが、村正の刀は技術的な能力の冴えだけで鍛えられています。
それに対して貞宗の刀は人間の意思が働いてはじめて斬れ味を発揮します。いわば技術的な能力に人格の香りといったものが加わっているのです。
人格の香り。これが同じ一流とはいっても、二人の刀の優劣の差になったのでした。
そして、技術的能力だけでなく、人格の香りという微妙な価値を評価する哲学を備えていた正宗こそ、一流中の一流と言うべきでしょう。
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<コメント>
妖刀村正の存在は耳にしたことがありましたが、こういういきさつだったのですね。
思風先生がこのエピソードを「人格の香り」として取り上げられたのはさすがだなぁ、と思いました。
性能の良いツールというものを我々は追及しますが、主役はあくまで使う側の人間。何のためのツールなのかを忘れるととんでもないことになりかねませんね。
正宗の親心としても、大切な娘を思うにつけ、人間性の面で貞宗に軍配が上がったのかなぁ、なんて斜め読みしてしまいました。反省です(笑)。