戦後70年の節目にあたる今年。
戦争反対とかそういうことではなく、自分で身近にできることはなんだろう?
そう問いかけてきて、その答えが見つかったのは小学校の友人と飲んでいた時。
戦争とは、そのほとんどが利害の対立、つまり経済的理由から起きていることを
戦後50年のときに調べてわかりました。
私たちは、対立という言葉を何気なく使いますが、「対して立する」あるいは
「対(ツイ)にある」ということであって、世の中のいろいろなものは対立して
存在しているのです。
陰と陽、男と女、前と後、表と裏、天と地・・・
問題なのは対立ではなく、それが敵対という関係に陥ることなのです。
つまり対立という微妙な存在、異質なものをどう受け入れるか、それがうまくいくと、
同質同士よりももっとすばらしいものが産み出されるわけです。
国と国、人と人も同様に、対して立するのは当然で、隣同士、よく知ること、
お互いのいいところを認めつつ、相手の悪いところは責めない、というスタンスでいれば
敵対関係になどなりえません。
でも、同時にそれができないのも人間の弱さであり、いじめがなくならないのも、
負の連鎖を断ち切れない人間の弱さからきていると思っています。
小学校中学校は高校や大学と違い、ほとんどの人はその学区に住んでいるから、という
単純な理由で通うので、社会の縮図のようなものですね。
中学校の同級会は、卒業して数年後と15年くらい前に2回行われたのですが、
小学校のはなんとゼロ。
今回、東京で一緒に飲んだ友人も小学校中学校とも一緒だったのですが、
上記の理由から小学校の同級会をやろう、ということに落ち着きました。
とはいえ、連絡を取り合っている人はほとんどおらず、まあ、5人でもいいからやろう、
という気楽な構えで声がけし始めました。
120名の同期卒業生。アルバムの後ろに住所記載の名簿がついているのは時代ですね。
しかし困ったことに、半分くらいが公団アパートや県営アパートに住んでいたということ。
そのほかにすでに引っ越したの明らかな人もおり、結局はがきを出せたのは40名。
8月15日の終戦記念日に集まってくれるのは、果たして何名か?