連休を利用して、神奈川県小田原市にある二宮尊徳記念館に行ってきました。
小田原は相模湾に面した箱根の玄関口。
温暖な気候で交通の要所、栄えることが約束された地という感じを受けました。
さて、二宮金次郎、のちの二宮尊徳とはどういう人物だったのでしょう。
私は、弟子の福住正兄(ふくずみまさえ)氏が著した「二宮翁夜話」のCD版を
何度も何度も聞いていましたが、やはり記念館ではこれまで知らなかった情報を
たくさん知ることができました。
二宮金次郎といえば、誰しも背中に薪を背負いながら書を読む小さな少年の彫像を
思い描くことと思います。
やりたいことも我慢してひたすら勤勉に農作業をするというイメージ。
ところが実際は大きく2つの点でそのイメージとはずいぶん違います。
1つ目は体の大きさ。大人になった金次郎(改め尊徳)は、身長185㎝の大男。
再建の神様と呼ばれた男に相応しい風貌だったのです。
最初の写真が記念館の脇にある尊徳の生家で、実物大の銅像が立っていました。
実にエネルギッシュで苦難をものともしないたくましさを感じました。
氏の教えは報徳仕法としてまとめられ、至誠・勤労・分度・推譲を基本としています。
推譲という言葉がわかりにくいと思いますが、働きによって生まれた力やお金を
自分の将来や社会に譲ること、という意味だそうです。
幸田露伴の幸福三説(惜福・分福・植福)を1つの言葉で言い表したような
ニュアンスが感じられます。
分度は大切としながらも、決して欲を否定してはおらず、むしろそれをエネルギー
として励むことを推奨したのです。これが2つ目のイメージギャップの点です。
とても実際的かつ成功する考え方で、今に通じるものがあると思いました。
小田原市民にどの程度この報徳仕法が浸透しているかはわかりませんが、報徳タクシー
とか、報徳観光など、報徳という名前のついたものをあちらこちらで目にしました。
利用して実感すればよかったなぁ、と思いました。