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今月も、「まちネタ」(街で見つけたコラムに潜むコミュニケーションのネタ)をお楽しみください。
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◎ 耳の痛い話
誰しも人から褒(ほ)められれば、嬉しいものです。
逆に、批判や忠告を受けると、落ち込んだり、腹が立ったり、反発心が生じたり、相手を恨(うら)んだりしてしまうこともあります。
昔から、「耳の痛い話ほど、本音が語られている」といわれます。
自分にとっては不快であり、不都合な話であっても、冷静に考えると、核心をついたことを第三者が語ってくれている場合があります。
<率直に耳を傾けることは、自分にとってマイナスではなくプラスだ> と前向きに捉(とら)えれば、耳の痛い話も、大いに自己の向上に役立つでしょう。
どのような話も、取捨選択の決定権は自分自身です。
しかし、その時は理解できなくても、後になってみれば、<あの忠告が自分のためになった>と思えることは少なくないものです。
耳の痛い話を自己の成長に役立てる、心の深さを保ちたいものです。
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今月の私のテーマがちょうど、「耳の痛い話に対処する」だったので、このコラムはあまりにタイムリーで驚きました。
ここで言われているとおりですね。
耳の痛い話に対して、同じ対処法をやっていると、また時を経て同様の耳の痛い話が何度も繰り返しやってくるのだと思います。
自分の受け止め方、対処の仕方を変えない限り。でも、それがとてもむずかしい。特に夫婦間では。。。
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◎ 負けました
小学校教師の安次嶺隆幸さんは、日本将棋連盟の学校教育アドバイザーとして、将棋の持つ教育的意義を提唱しています。
一時はプロの棋士を目指したこともあるだけに、安次嶺さんは「礼」を大切にする将棋の魅力を次のように語っています。
「負けを自ら宣言しなければならない将棋は、日本人が忘れかけている大切な心に気づかせ、それを自然と身につけることができるメソッドを内包していると言っていいでしょう」
「負けました」と宣言することは自分の弱さやミスを受け止めて、悔しい気持ちを折りたたみ、負けの責任を自分でとることになる。
それは「弱い自分に打ち勝ったぞ」という能動的宣言である、と安次嶺さんは言うのです。
負けるのは悔しいことです。しかし、負けをきちんと受け止めてこそ、その先の成長があるのでしょう。
「悔しいからやめた」ではなく、逃げずに向き合うことから、次の一歩が始まるのです。
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負けをきちんと受け容れる=弱い自分に打ち勝つという捉え方がおもしろいですね。
さっきのコラムと共通しているのは、逃げていてはダメ、正面から受け止めよ、ということですね。
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