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今月も、まずは「まちネタ」(街で見つけたコラムに潜むコミュニケーションのネタ)です。
◎ 履物を揃(そろ)える
看護師のY子さんは、セミナーで「履物を揃えると心が揃う」と学びました。
早速、職場で継続的にスタッフや患者の履物を揃え続けていると、次第に心に落ち着きを感じるようになったのです。
さらには、その病院のほとんどのスタッフが自ら履物を揃えるようになっていきました。
ところが、病院長だけは、どんなにまわりの履物が揃っていても気にもとめず、脱ぎっぱなしの状態を改めようとはしませんでした。
「どうすれば院長は変わるのだろうか」と数日間悩んだ末に、Y子さんはあることに気づきました。
《 いつしか私は院長を責めていた。履物を揃えるのは、誰のためでもなく私自身のために始めたことだった 》と再確認しました。
《 自分のために 》という心で履物を揃えるようになったY子さん。すると、いつしか病院長も履物を揃えるようになったのです。
変化の矢を相手に向け、相手を変えようとしている間は、人は決して変わりません。その矢を自分に向け、自分が改まった時、相手は変わっていくのです。
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最後の行、響きますね。我が家の靴がなかなか揃わないのは、まだまだ自分が改まってない証拠なんだなぁ。
◎ 娘の前で
書斎で調べ物をしていたAさんは、一番下の引き出しから書類を取り出しました。そして書類を見ながら、引き出しを足で蹴って閉めたのです。
ふと視線を感じてふり返ると、二歳になる娘がこちらを見ていました。
しかも嬉しそうにAさんのそばに駆け寄り、引き出しを蹴り始めたのです。慌てて止めようとしましたが、時すでに遅く叱ることなどできませんでした。
Aさんは普段、足を使って引き出しを閉めるようなことはしません。しかし、その行為が良くないからしないという形だけの戒めでした。そのため、気が緩んだ際に足で扱ってしまい、結果として娘に見られてしまったのです。
人は誰かに見られていない時ほど、気が緩んでしまうものです。そのような時こそ、はっきりと人間性が現れます。意識した動作ではなく、無意識の動作は、心もちが形となって反映してしまうのです。
物に対する感謝の心、大切に扱おうという気持ちが欠如していたことを反省したAさん。一つひとつの動作に、心を込めるよう改めたのでした。
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無意識の動作の中に、その人の人間性が現れる、っていうのはその通りでしょう。人間性は人相に現れるとか、隠しようがない、というのが怖いところですね。精進あるのみですね。それにしても二歳の娘さん、可愛いな。